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| [孤独を覚悟のプライバシー] |
(写真:たわわに実って刈りとりに)<文字を大きくしてお読みになるには>Internet Explorer の場合メニューバーの表示から[文字のサイズ]→[最大]を選んでください 門脇政夫さんが98歳の生涯を閉じたのは、春が芽生え始めたことしの2月19日のことである。その故郷、兵庫県のほぼ中央に位置する多可郡多可町には、三つの自慢がある。極上酒米として知る人ぞ知る山田錦。手漉きの杉原紙は1300年の伝統を受け継ぎ、宮中歌会始に使われているという。もうひとつが≪「敬老の日」提唱の地≫である。 戦後間もない1947年(昭和22)、農閑期で気候もいい9月15日を選んで、村を挙げての敬老会が催された。3町合併して多可町が誕生するはるか前の、当時は野間谷村と呼ばれた地区の村長が、助役と語らって実現させた。「長い間社会に貢献してきたお年寄りに敬意を表するとともに、知識や経験を伝授してもらおう」との趣旨で、当日は村を挙げて三輪車などで送り迎えし、公会堂で播州歌舞伎とご馳走を楽しんでもらったと伝えられる。 いまでいう村おこしの思いも込めた、門脇政夫村長30代半ばの志だった。対象となった“お年寄り”は55歳以上。戦争で多くの人が命を失い、いまでいう高齢化にはまだ遠い時代だった。その翌年7月、<国民の祝日に関する法律>が制定されるが、成人の日やこどもの日はありながら、長寿を称える日には考えが及ばなかったようだ。門脇さんは2年目から改めて9月15日を≪としよりの日≫とし、村独自の祝日にした。1950年からは兵庫県全体に広まるが、「多年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」敬老の日を国が定めたのは、やっと1966年のことである。 門脇翁の葬儀は2月23日に営まれた。町は町葬を遺族に申し出たが、「町民に迷惑かけたくない」との故人の遺志が守られたと、当時の新聞が伝えている。同町八千代公民館には≪「敬老の日」提唱の地≫の碑が、誇らしげに建てられている。 |
(写真:安達太良の麓の牧場では牛の飼料が山積み)ことしの敬老の日は9月20日、昨年は9月21日だった。ハッピーマンデー法が出来てから、9月第3月曜日が、その日になる。成人の日、海の日、体育の日とともに、“年変わり”の、その名も珍妙な法律。祝日の成り立ちや趣旨を置き去りにして、3連休で消費拡大の思惑を先だたせた、道理を超える悪法と言いたい。 長寿を祝うと国を挙げて言いながら、猛暑続きのなかで、熱中症で命を落とす高齢者が後を絶たない。暑さや寒さに反応する肌の感覚や神経が衰えているうえ、寝たきりであればエアコンの操作もままならない。専門家は口を酸っぱくして冷房を薦めるが、かさむ電気料金にたじろいで節約する年金暮らしや生活保護家庭もあるだろう。 振り返れば半世紀前は、東京・銀座の喫茶店が、冷房完備を売り物にしていた。家庭ではせいぜい扇風機、団扇であおいで暑さをしのいだものだ。そうした時代を生き抜いてきた世代とはいえ、異常気象や文明が吐き出す≪生活熱≫は、環境を激変させた。住まいも密閉化が進む。高層化とともに風の力や向きまで変わる時代だ。熱中症は今年の夏だけのものではなく、むしろ年ごとに増えて行くのではなかろうか。 熱中症は天災の部分もあるが、神隠しにでも遭ったように、超高齢者の“行方不明”が相次いだことは、戦後65年の夏に特筆される腑に落ちない出来事だ。役所が本気になればなるほど、得体の知れない事情まで明るみに出る。 いまや深みから泥沼、いや底なし沼に落ち込んだ様相を呈している。普通に暮らしている人間にとっては、およそ無関係な出来事だが、気色のいいものではない。東大阪市では、文久生まれの149歳が、戸籍の削除を怠って“生きている”ことになっていたという、笑えない話が報じられ驚いていたら、長崎県壱岐市では文化7年(1810)生まれの200歳の男性、山口県防府市では文政7年(1824)生まれの186歳が戸籍上「生存」と、怪談話が次々に飛び出した。 葬式を出す金がなかったと半分納得のいくような事情や、生活の拠りどころになっていた年金を失いたくなかったなどと身勝手な理由まで、死亡届をしなかった家族側の理由も様々あって、あながち役所の怠慢とばかりは言い切れない。 |
(写真:安達太良は雲に隠れていた)役所を追いこんで、100歳以下の実態や実情まで徹底調査ということになれば、担当者の数を膨大に増やさなければならない。その分、どこかの仕事がお留守になるか、人件費という“税金食い”しか処方はない。それにしても、100歳以上の“不明老人”の数が、敬老の日に先鞭をつけた兵庫県で、図抜けて多いと報じられる(読売新聞全国調査)とは、皮肉な話だ。 ご近所の希薄なつながりとか、社会的ネットワークの問題とか、学者・評論家の言うことは知れているが、何かと言えばプライバシーを持ち出して、そのネットワークとやらを切断してきたことは忘れている。人間関係なんて、あまり入り込むと煩わしくもある。少しは我慢したり折り合ったりしながら、向う三軒両隣りの近所付き合いをするわけだから、それを拒否しておきながら、つべこべ言う筋合いはない。≪個≫を守るなら≪孤≫を覚悟しなければならない。 まして、菊池寛の『父帰る』ではないが、親子の断絶なんて突然始まったわけではない。離婚もおおっぴらな時代だ。“おひとりさま”さえ生き方の選択肢になる。確かに長寿を祝う相手が実在しないのは困ったものだが、過ぎたる社会正義や同情を振り回すと、当事者も社会の仕組みも引っ込みがつかなくなろう。戦時中の<まわして頂戴回覧板>のための隣組組織などは真っ平だ。 母親の骨をリュックに忍ばせて、年金で暮らす人生は、どう正当化しようとしても出来ないことだが、どこか胸が詰まる出来事だし、それを役人のせいにしようとしても無理がある。ただ、幽霊タクシーから年金の行方の問題、その無法な使い方まで、まずい仕事ぶりが後を絶たないだけに、戸籍の削除を怠ったとなれば、風当たりが強いのも当然だ。 東京・足立区で戸籍上は111歳になっている加藤宗現さんの白骨遺体が、家族同居の家の部屋から見つかった事件は、ついに81歳の長女と53歳の孫娘が逮捕される結末となった。加藤さん名義の遺族共済年金を不正受給した疑いだ。8月28日の朝日夕刊は、孫娘の弟が自宅の門に<ご近所の皆様 並びに 関係者の皆様へ>として、年金の不正受給について「大変な後悔と反省の気持ち」「詐取した金は決して無駄に使うことなく、姉に確認したところ、家の補修などの費用として使いました」と書き記しているという。この文章をどう理解すればいいのか。 |
(写真:鏡ヶ池では鴨の家族が羽を休めていた)<ゴミの山 姉弟は寄り添い倒れていた 大阪・2児置き去り><ママ投げ出し2児死亡 まだやりたいこといっぱい あんねんもん>と、朝日が書いた事件には、ただただ胸がふさがった。理不尽、不条理…どんな言葉をしても言い当てることは出来ず、2児が不憫でならない。家人はテレビがこのニュースに触れると、目をそむけた。 そうしたさなかだっただけに、王貞治さんの母登美(とみ)さんの108歳の死には救われた。すでに先だった中国人の仕福さんと結ばれ、2男3女に恵まれた。「東京・墨田区で中華料理店を営み、1945年3月の東京大空襲の際は、4歳の貞治氏を背負い、火の海を命からがら逃げたという」と読売は書いた。朝日の天声人語は「名を成した人の親なら、子育て自慢も許されよう。半世紀も『偉人の母』でありながら、控え目を通したこの人は希有な例である」と書き、「無学の上に特別な才能も何もない親のもとで、ここまでやってくれて、母さんは幸せです」との言葉を引用していた。 読売の編集手帳は「身を粉にして働き、家族を守り育て、誰にでも感謝の心を忘れなかった仕福さんと登美さん」と書き、記事に貞治さんの「108歳の天寿を全うしてくれました。長い人生で様々なことがあったと思いますが、力強く生きてくれたことは、息子として誇りです。これからは父のそばで、まずは出会いを楽しんでほしい」との談話を添えた。ほのぼのとするものがあった。この母にして、この子あり。それを良くも悪くもとは言いたくないのに、そう書きたくなる事件が、この夏は余りにも多すぎた。 |
(写真:都会ではあまり見かけなくなったダリヤ)東京オリンピックから正式種目になった柔道の無差別級で、金メダルを手にしたオランダのアントン・ヘーシンクさんが、8月27日に76歳で亡くなった。1メートル98の巨体に、日本の神永昭夫選手が組み伏された時の悔しさを思い出す。あれからはや56年の歳月。 南米チリの鉱山で落盤事故があり、作業員33人が生き埋めになっている。現場は700メートルの地底だが、通気孔を通してカメラが地底内の写真を送って来た。このニュースで思い出すのは、1961年12月の奥羽本線大釈迦新トンネル(青森)で発生した落盤事故のこと。60時間後には生き埋めになった12人が無事救出されたが、この時も読売新聞青森支局が通気孔を通して、当時売り出されたばかりのミニカメラを送り込み、<12人みな元気>なスクープ写真が新聞を飾った。チリの無事救出を祈るばかりだ。 九州・筑豊の炭坑事故の現場取材もしたが、紙一重の生と死の間で、救出を待つ家族の姿は見ていられない。肉親が救出されても喜ぶ者はいない。まだ地底に残る身内を待つ者の心情を思ってのことだ。それは海や山の事故でも同じこと。そうした残された者の悲しみをよそに、この夏も海山の事故が絶えなかった。 さまざまに≪家族≫を思う夏でもあった。 |
(写真:民家の庭に咲き乱れる花々)8月の末、避暑と湯治を兼ねて福島の岳温泉に出かけた。だが山里も猛暑の例外とはならず、熱気が上昇気流を呼んで、雷雨が日課となり、安達太良の全体像を遠望することは、ついになかった。高山の植物にはお目にかかれなかったが、あちこちの庭先の花々に目を奪われた。鏡ヶ池のほとりは、少し風が渡った。お湯は飛びきりだった。 (YOU) 写真は岳温泉周辺で=筆者撮影= 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 |
| <金曜連載「爽やかエッセイ」と感想文募集> |
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エッセイは800字前後が理想ですが、長文のものは何回かに分割させていただくことがあります。 中高年の「元気が出るページ」にふさわしいものであればテーマは自由です。 感想文は200字程度(読んだエッセイのタイトル明記) エッセイ、感想文ともお名前、ご住所(掲載時は県・市までにとどめます。)、メールアドレス(掲載しません)ホームページのある方はPRしますのでアドレス、を明記の上 Genkigaderu@ra2.so-net.ne.jp(最初のGは小文字のgに変えてください。)までメールでお送り下さい。期限はありません。 |
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