第23回




6回連載

戦争を題材に自費出版された物語りをお送りします。
著者プロフィール

文:鶴 文乃(つる ふみの)

1941年7月長崎に生まれる
私立高校教師、RKB毎日放送(福岡)勤務後、フランス、タイにて海外生活
著書に『長崎の女』『ところてんの歌』『つっきれ下駄とズック』以上サン
パウロ発行所、『東アジア安全ガイド』KDDクリエイティプetc.その他、
朝日、毎日、日経、中日の各新聞、雑誌等に執筆。ばってんネットワーク
(平和のメッセージを長崎から)Group Sea(アジアを知ろう知らせよう)
等で活動中


絵:能仲リエ(のなか りえ)

1960年東京に生まれる
父、能仲ヤツヲ画家に絵を学ぶ
1984年中央大学(心理学専攻)卒業
作品 改訂『世田谷の民話』世田谷区広報課
『東アジア安全ガイド』KDDクリエイティプ等の挿絵担当

まえがき
「長崎の証言の会」代表委員 浜崎 均
 戦争の時代、暗い防空ごうから解放されて外に飛び出したら、野原には花が
咲いている。きらきら輝く小川ではさわがにが歩き回り、トンボが二匹輪を作
って飛んでいる。子どもたちはそんな所で遊び回ります。小さな植物も、虫も、
動物もみんな命があるのです。そんな命が子どもたちの命といっしょに原子爆
弾で一瞬に消えました。この本にはそんな物語が書いてあります。

 また、遠い国から連れて来られてむりにきつい仕事をさせられている人と健
太少年とのあたたかい心のふれあいの物語もあります。

 私たちは、今、戦争のない日本で平和に暮しています。しかし、世界のどこ
かでは、戦争があっていたり、戦争になりそうな国があります。日本も50数
年前までは大変な戦争をしていました。そして、たくさんの人が死にました。
軍人だけではありません。日本が戦争をしに行った国の人、日本国内の人、赤
ちゃんも子どももおばあさんも死にました。いや、殺されたと言ったほうがい
いでしょう。そのうえに、広島と長崎にアメリカは原子爆弾を落としました。
1945年(昭和20年)8月6日と9日のことです。

 この時の原子爆弾がもとになっていくつもの国で核兵器が作られるようにな
りました。核兵器が1発でも使われたら、私たちの美しい地球はこわれてしま
います。

 そんなことになったら大変ですから、最初の原子爆弾で広島と長崎がどんな
にひどいことになったかを知る必要があります。そのために、これまでたくさ
んの本が書かれ、映画などが作られました。

 この物語の作者鶴文乃さんは、これまでに原爆と子どものことを書いた『と
ころてんのうた』(日本語版・英語版)、『つっきれ下駄とズック』という二
冊の童話を出しています。今度で三冊目ですが、『つっきれ下駄とズック』に
はベトナムの子どものこと、今度の本では朝鮮(今は韓国と朝鮮民主主義人民
共和国)のおとなと日本の子どもやおとなとの交流を描き、広く世界の人と交
わることの大切さもうったえています。

 この本を親子で、学校で、図書館で読んで、戦争と平和のこと、生きている
命のこと、消えていった命のことをしっかり考えてください。


            第 1 回


健太は、庭の大きな楠の幹にある窪みに腰を掛けて、いつもの
ように金さんの行列を待ちました。毎朝八人の外国人が一列に
なって、監視らしい日本人の後を、のろのろと歩いて行きます。

 健太の家の下には大通りに通じる細い道があります。その外
国人たちは、近くの刑務所から、重い足を引きずるように出て
来ては大通りを隔てた鉄工所に向かいます。健太には、初め、
この人たちが外国人だということは分かりませんでした。顔か
たちも背丈も日本人と同じに見えましたから、『大人があんな
にいやいや歩いていいものか』と思って腹が立ちました。『お
れだって、いつも腹減って死にそうなんだ。だけど、そんな
こと外に出したことないぞ。男は強くなけりゃいかんって先生
が言うから、腹ぺこで目が回りそうなんだって力強く行進す
るんだ。大人のくせに、しっかりしろ』、と心の中でつぶやい
ては、楠の陰から石ころを投げつけたりしていました。

 ある日、お母さんに見つかり、こっぴどくしかられました。
「あんたは三年生にもなって、まだそういういたずらをするの。
あの人たちは遠い国からこんな所まで連れてこられて働かされ
ているのよ。お父さんと同じくらいのおじさんたちだけど、お
父さんが外国で小さな子どもたちに石投げられていたら、どう
思う?」と、いつもはやさしいお母さんが、激しい口調で言
いながら目に涙をいっぱいためていました。

 それからは健太は金さんにお父さんの身を思い重ね、いじわるはすっかりや
めました。かわりに妹の美華子の大きめのお手玉をくすねて、行列の最後尾の
金さんに投げつけています。もっとも、お手玉ではなく、信玄袋のようになっ
ていましたが・・・・・。中には小さな干芋のかけらや、大豆を煎ったものな
ど、健太の分け前から少し分けて入れるのでした。

 初めてお手玉を投げた時は、金さんが怒って顔をまっ赤にして投げ返してき
ました。健太は投げ返された袋を食べるまねをして、再び投げ返しました。中
には煎り豆と、『いままでのことは、ごめんなさい。これからは、いいものを
投げますから、かならずかえりに、このふくろをかえしてください。つるやま
 けんた』というひらがなの大きな字で書かれた手紙が入っていました。

 夕方仕事場からの帰り、袋は楠の根元に投げ返されていて、『けんた、あり
がと、 キム』と、たどたどしい日本語が、健太の手紙に炭のようなもので、
書き加えられて入っていました。
 あれから四ヵ月もたち、きょうは八月九日。朝から太陽がギラギラと照りつけています。袋の中身は、珍しくピーナツでした。田舎のおばあちゃんが送ってくれたのを、お母さんが明日の美華子の誕生日のために取っておいたもので、健太が待ちきれず、一日前に煎ってもらったのでした。ほんとうは、自分一人で全部食べたいのですが、金さんたちはもっとお腹が空いていると思うとそうもいきません。健太の分の半分あげたとしても、金さんたちには一粒もあたらないような数でしたから、きょうはたった二粒しか自分には残さず、グーグー
いっているお腹の虫をなだめながら、金さんを待っていました。先頭を歩く日本人の監視に見つかるといけないので、大きな袋を投げるわけにはいきません。
さいわい、健太が石を投げていたころ、監視は、それを知っていたにもかかわらず見て見ないふりをしていたので、石がお手玉に変っているとは、夢にも思っていないようです。

小柄な金さんが、健太が投げる袋を目にも留まらぬ早業で受けると、ポケットにつっこんで、にっとすきっ歯を見せ、何事もなかったように歩いて行く妙技は、健太にはたまりません。それを見たさに健太は、続けているところもあります。言葉を交わすチャンスはありませんが、健太にはずっと昔から知っているおじさんのような気になっていました。

 下の通りに人影が動いた気配がしました。「早く歩かんかあ」と、監視が怒鳴ると、その一瞬行列は足ばやになり、またすぐのろのろとした歩き方に戻ります。
 
 金さんが健太のいる真下を通り過ぎようとした時、いつものように上手に袋を投げました。ところが、金さんはそれをポトンと地面に落として慌てて拾い、ポケットに押し込んでそのまま行ってしまいました。いつもなら歯を見せて笑ってくれるのにおかしいなあと思いながら、うしろ姿を見送りました。



 庭の楠の木陰では、美華子がむしろを敷いて、一人でままごと遊びをしています。むしろの上には、欠けたお茶碗やお皿やカップなどが並んでいます。お茶碗の中には、白いダリヤの花びらがご飯のように盛ってあり、お皿には黄色の花が平たく乗せてあります。カップの中には、朝顔の花を絞って作ったジュースが入っています。

 「お兄ちゃん、ご飯だよ。早く、早く」と、美華子がしつこく言うので、健太は仕方なくむしろの上に座りました。
 「お兄ちゃんはお父さん、わたし、お母さんだよ」美華子はうれしそうにホっぺにえくぼを作って、健太の前にご馳走を並べます。

 健太はご飯やお皿の卵焼きをむしゃむしゃ食べるまねをして「ごちそうさま」と、さっさと立ち上がりました。

 「お兄ちゃんまだだよ」という美華子の声をあとにした、健太は「美華の好きな花摘んできてやるから・・・・・」と、そそくさと川遊びに行ってしまいました。

 健太は、黙って座っているより走り回っているほうが好きでしたから、ままごと遊びの相手がいちばん苦手でした。


次回は1月16日(日)の予定

 

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