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![]() 「 読 者 の 広 場 」 |
| (みなさまのページです) |
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このページは、エッセイなど読者に読んでもらいたいもの。聞きたいこと、ご意見、お便りなどを気楽に掲載できるページです。字数は800字前後、写真1枚添付も可能です。ご投稿をお待ちしています。 投稿先は E-mail: GENKIGADERU@ra2.so-net.ne.jp 大文字のGENKIGADERUは小文字のgenkigaderuに打ち直して下さい 迷惑メールが多く、それを防ぐためです。お手数をかけますがご了 承下さい。 ご住所、お名前、メールアドレス、ホームページをお持ちの場合 は、そのアドレスもご記入の上メールでお送り下さい。 (写真:神奈川県横浜市 宮田靖匡氏 6月10日横須賀菖蒲園にて撮影) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 |
| 再発見!映画「ベニスに死す」 |
投稿者 千葉県八千代市 平賀三治いまさら、この遠い昔の映画をと思われますが、やはり、昔も、今も変らない人間の情念を詠った映画としてもう一度見直してみてはとの思いで、あえてご紹介する次第です。 偶然テレビの番組表に、かって名画の誉れ高き「ベニスに死す」を見つけ、再びこの名画に釘付けになりました。 原作はトーマス・マンの短編小説。 1971年に制作されたルキノ・ヴィスコンティ監督の映画は、日本で封切りされたのが何時だったか忘れましたが、当時鑑賞し、大作曲家グスタフ・マーラーの交響曲第5番4楽章のアダージョが画面に流れる美しいベニス、リド島を舞台とした、老作曲家と怪しくも美しい少年との精神愛の映画との印象が残っていました。 いまや時は過ぎ、筆者自身も人生の終末期を迎えた今、改めてこの映画を観てその印象は表面的な見方では無かったかとの思いにかられました。 主人公の老作曲家のグスタフ・アッシェンバッハはマーラーをモデルとして設定されているとのことですが、随所に出てくる若き時の回想場面が、確かに娘の死などマーラーの実生活の一面を表現していた事で頷けました。 また、時折出て来る芸術論もマーラーの音楽に対するその時代の聴衆の受け取り方を表現していたのかもしれません。 マーラーは絶えず死に対する恐怖心を抱いていたと言われていますが、マーラー第5番のピアノ演奏を聞きながら、目の前にある砂時計をじっと見詰めながら呟く「落ちる砂が多い時は、その速さに気が付かないが、落ちる砂が少なくなってくるとその速度は速くなる」といった意味の言葉がこの映画に流れている根本的な思想であり、そこから、早く過ぎ去ってゆく人生の終末期にあっての主人公の老いと孤独、人生への焦燥感などが余すところなく表現されていると思われました。 画面の随所に出てくる若者のはちきれる様な明るい行動との対比がさらにこの老いの惨めさを引き立たせていました。 そこに、現れた美と若さの象徴である「タジオ」は主人公の若く美しい青春時代の幻影なのだと思われました。 宿泊しているレストランで、はたまたリド島の海岸で絶えず憧れの眼で、話し掛ける事も無く、触れることも無くこの美少年を追い続ける主人公は、終末期を迎えた老いから再び美しい青春時代を取り戻したい思いに駆られているように筆者には映りました。 特筆すべきはこの主人公に扮したダーク・ボガートの演技です。殆どセリフはなく、目の表情だけで、その時の苛立ち、怒り、あこがれ、喜び、不安などを的確に表現している入魂の演技には惜しみなく拍手を送りたいものです。 最後、美少年が海の中を沖に向かって静かに歩んで行く霞んだ姿を苦悩に満ちた顔で追いながら死んでゆく場面には、遠く過ぎ去った自分の青春を追い求めるその夢を死によって断ち切られる人生の哀歓を感ぜずにはいられませんでした。 又、この場面のダーク・ボガードの演技は歌舞伎の「俊寛」が一人鬼界ケ島に残されて、流罪を許され島を去る他の流人を崖の上から見送る苦汁と無念に満ちた表現に相通ずるものを感じられる名演と言えるのではないでしょうか。只一つ、私の願いは、最後の場面は死んだ主人公を運ぶ場面ではなく、椅子の上に横たわる主人公の姿をカメラを引いて段々に小さくして行って欲しかったことです。 ヴィスコンティの意図したものは老作曲家と美少年との精神的愛の物語であったのかもしれませんが、筆者自身が人生の終末期を迎え、残された短い人生に抱く一種の焦燥感、苛立ち、慙愧の念に駆られる現在、この映画に感じたのは人生終末期での精神的に美しかった青春への憧れと、二度と青春時代に帰れない遣る瀬無さでありました。 いつまでも、いつまでも、心に残る名画であることは間違いありません。時には、自分の人生に思いを馳せるこのような映画を見直してみる必要があるのではないでしょうか。 人は年齢により、環境により、こころ模様は移り変わり、同じ映画でも、その印象は変わって行くものだと痛感いたしました。 ぜひ、再度この名画を見直してみられることをお薦めします。 20年7月2日 記 +++++++++++++++++++++++++++++++++++++ |
| 「終の住処で人生を楽しむ」(A料理) |
投稿者 千葉県八千代市 藤川朝夫20年前の1989(平成1)年に、私が住んでいる八千代市勝田台の公民館主催で男性料理講習会があった。妻が市の広報で知り受講を勧めた。 「自分でご飯も味噌汁も作れないけど、もし私が病気にでもなったらどうするの。てきめん困るんじゃないの?」というのが勧めた理由である。 明治生まれの私の母は「男子厨房に入るべからず」式の考え方であった。台所は女の城であり、男が入って来る場所ではないと思っていた。そんな環境で育った私も、料理を作ることに少しためらいが残ってはいたが、妻の意見はもっともだと思い受講する事にした。 この講習会は会社勤務のサラリーマンも参加できるよう配慮して、月に1回日曜日の開催だった。現役で仕事をしている人でも受講できる日取りなので私も応募した。 包丁の使い方や、食器の洗い方に始まり、半年間にわたって料理の基本的な講習を受けた。今まで毎日3度食べてきたはずの食事だが、主食もおかずも、作り方については初めて教えられることが多かった。 最終日に「公民館のこの調理室を会場にした男性料理サークルがあります。希望者は入会されて、今後もご一緒に続けて料理を作りませんか」と誘われた。実は既にあった男性料理サークルの会員さん達が、公民館主催の講習会では助手役を買って出てくれたのだと分かった。 講習を通じて自分達が作ったものを、その場で食べるのは美味しいものだと分かった。それに仲間と談笑しながらの食事は楽しいなとも感じていた。早速男性料理サークルに入会して、引き続きお世話になる事にした。 教えてくれる先生は地元勝田台に住み、東京の女子大で栄養学の講師を務め、八千代市の教育委員も兼務されていた方である。我々の考え方に近く、「もったいない」が分かる世代の女性である。大根の葉っぱを浅漬けにしたり、だしをとった後の昆布や鰹節を使って佃煮を作ったり、食材を無駄にしないお考えの先生である。 <あるものでレシピを作る料理人> 当時は10名に満たない会員だったから、月2千円の会費では誰かが休むと月謝と食材費もままならない逼迫した財政だった。しかしそんな状況はわずかな期間だけで、口コミや公民館への問い合わせ等が増え、直ぐに会員数が24名になった。今では会費を月1500円に値下げしても運営できるようになった。 1つの調理台当たり5人として、4つの調理台で20名が適正人数であろう。全員出席したら多過ぎる事になる。しかしよくしたもので、毎回何人かの欠席者がいるので、1調理台5名がほぼ保たれている。 楽しいから辞める会員がほとんどいないので、平均年齢も年に1歳ずつ上がり、今では平均年齢70歳以上になってしまった。入会希望者がいても、調理台の数の関係でこれ以上は応じられなく、キャンセル待ち(退会待ち)の状態である。 会に愛称を付けようという呼びかけがあり、会員から募集した。投票したところ、「ぶ吉兆(ぶきっちょう)の会」が最高点を獲得して会の愛称になった。次点は「美味し勝田会(おいしかったかい?)」だったが、いずれも私の提案した駄洒落のような語呂合わせだ。 愛称に「ぶ吉兆」が採用されたのは4年前の事であり、船場吉兆の不祥事が発覚する以前の事である。「偽装や使いまわしをやってないか?」と最近は友人から冷やかされるが、「吉兆の前に不が付いているだろう?吉兆でないと言う意味だよ!」と言い返している。(笑) 私も入会以来20年が経った。「そんなに長年やっているのだから、さぞ料理が上手になったでしょう」と思われるかもしれない。簡単で基本的な料理はレシピを見ないでも作れるようになったが、それ以上は遅々として腕が上がっていない。 理由は分かっている。習った動機は「妻が病気になっても困らないように」と言う理由だったが、幸い妻が健康なのである。だから妻が留守でもない限り、習ったレシを使って、もう一度家で作る復習をなまけているのである。 だが習って無駄でなかったのも事実である。 料理を習う前までは何を食べても、「美味しい」とか、「まずい」とか思うだけだった。それが習うようになってからは、出された料理について、食材は何々を使っているのか、どのようにして作ったのか、味付けには何を加えているのか、等細かな事に興味が湧いてきて、食べる時の料理の見方が変わってきたのである。 もう一つの成果は地域の人達との交流である。現役時代は子供の教育やご近所のお付き合いは妻にお任せで、近所の方々と道で擦れ違ったら、頭を下げて挨拶する程度のお付き合いだった。 料理サークルに参加してからは、同じ釜の飯(と言っても電気釜の飯だが)を食べた地域の仲間として親しくなった。料理を作りながら、食べながら、情報を交換し、時には地域が抱えている問題点や、これからの課題等も語りあう仲になった。道で合っても、以前のように目礼だけではなく、声を掛け合たり立ち話をしたりである。 「ぶ吉兆の会」では年に一度「食の研修旅行」と称して、貸切観光バスによる日帰り親睦旅行をしている。関東各地の名物料理を訪ねる旅である。 栃木市の蕎麦の里での蕎麦作り体験、北茨城平潟港のアンコウ鍋と五浦海岸、袋田の滝と那珂川上流の鮎料理づくし、勝浦市の朝市巡りと包丁の神様富家神社参拝、勝沼のぶどう狩りとワイナリー見学、横浜中華街と生麦のビール工場見学、牛久のシャトー神谷とぶどう狩り、三浦半島三崎港のマグロ一匹料理と城ケ島、等等である。 旬の物を産地で食べてこそ、その良さが十分に分かると思うからである。 <初めての蕎麦打ち喉につっかえる> 毎年秋に行われる公民館祭りでは「お父さんが作った蕎麦入りヘルシー・クッキー」を作って、来場者に売っている。「美味しくて安い」と常連さんが増えている。売上金の一部は八千代市の文化振興財団や公民館に寄付している。調理室の使用料も人件費も只だが、寄付をすると材料費も回収できないので、赤字は会が負担している。しかし地域の人達とのつながりができる行事だから、今後も続けて行くつもりである。 04年には八千代商工会議所主催の町興し行事として、八千代産の野菜を使った鍋料理のコンクールがあった。印旛沼から市内の中心を流れている新川を開削した祖である染谷源右衛門の功績を称える「源右衛門祭り」の一環として行われたものである。 「ぶ吉兆」でも市内産の牛肉・人参・ホーレン草などを使った新しい鍋料理のレシピを作って応募した。14チームが参加したが、予選を通過した5チームの中に選ばれ、決勝大会に出場できた。 決勝大会では、源右衛門祭に来場した市民100名と商工会議所の審査委員が、5チームの鍋料理を試食して、良いと思ったものに投票して順位を決めた。 結果は惜しくも優勝を逃がしたが、「美味しかったで賞」を獲得できた。 掲載の写真は源右衛門祭の鍋料理コンクールに来場した、堂本千葉県知事(中)、豊田八千代市長(左)と、ぶ吉兆の会員達。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++ |
| 中高年の「元気が出るページ」10周年記念会 (読者と執筆者の懇親会)のご案内 |
![]() いつも当ホームページをご愛読くださいましてありがとうございます。 さて、当ホームページは今年8月で10周年を迎えます。これもひとえ に読者の皆様と執筆者のお陰と感謝しています。この機会に、読者と執筆 者が一堂に会して、交流の集いを 催したいと思います。 すでに予告してきましたので参加希望のお返事を頂いている方もありま すが、改めてご案内いたします。 日時:10月17日(金) 午後1時30分〜4時30分 会場:日本記者クラブ 東京都千代田区内幸町2-2-1日本プレスセンタービル9F 定員:40名ですが既にお申込頂いている方がありますので、 先着順10 名で閉め切らせていただきます。(必ずお返事 いたします) 予定会費:7千円(懇親会立食パーティー代) ご回答は、下記メールアドレスに次の項目をご記入の上お送りください。 1、お名前 2、ご住所 3、メールアドレス 4、参加希望のご回答 5、会内容へのアイディア、ご意見、ご要望 送り先メールアドレス:genki@abox3.so-net.ne.jp ─────────────── 中高年の「元気が出るページ」 編集人 村上芳信 ─────────────── (写真:神奈川県横浜市 宮田靖匡氏 6月28日 箱根芦ノ湖にて撮影) |
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