平凡サラリーマン一大冒険物語        ペットと共にヨーロッパを駆け巡る(12) 平賀三治
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(写真:リンダーホフ城)








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    1990年8月8日〜8月12日


((リンダーホフ城))



いよいよ、ノイシュバンシュタイン城にお別れし、バイエルン州南西のオーバーアマガウの近くにあるリンダーホフ城を訪ねました。 この城はルードヴィヒ2世の建設した3つの城のうち、唯一完成させ、実際に住んだ城です。

ノイシュバンシュタイン城ほどの規模ではなく、小さく纏まっていますが、室内は豪華な装飾が施され、庭も噴水も見事なものです。 

そして、なんと言っても感動させられたのは、この城があの映画「ルードヴィヒ 神々の黄昏」の舞台となっており、映画で見た洞窟の湖や、エレベーターで食卓を食堂まで上げる装置などが実際に見る事ができたことでした。

(写真:洞窟の湖に浮かぶ小船)

特に大きな石の扉を開けて入った洞窟の湖は暗闇に鮮やかな色のイルミネーションが輝き、湖に浮かぶ舟にルードヴィヒ2世が孤独に浸っている姿を彷彿とさせる空間でした。

それにしても、ノイシュバンシュタイン城に較べると観光客の数は少なく、もっと多くの人に見てもらいたいものと思われました。



((ヴァイオリンの町、ミッテンワルド))

リンダーホフ城を後にして、もう一つのルードヴィヒ2世の遺産であるヘレンキームゼー城を目指して走り、途中、ヴァイオリンの町として有名なミッテンワルドに宿をとる事にしました。 

シャワーも無いような安い宿でしたが、ロビンは特別宿泊料をとられました。 しかし、やはり、夜中に吠えるので仕方なく、車の中に泊める事となり、特別料金は無駄となってしまいました。

ロビンも長い旅で精神的に落ち着かなくなっているのかもしれません。

ここでは、ヴァイオリンのミュージアムを見学し、ヴァイオリンの歴史を知ることができました。 

ミッテンワルドは、もともと木彫り工芸の盛んなところであったようですが、1600年代にクロッツと言う人がヴァイオリンの製作をはじめたことから、町全体にヴァイオリン製作が広まったようです。 

ストラディヴァリュスに匹敵する優秀なヴァイオリンとの事です。街を散策していると、彼方此方にヴァイオリンを飾った店が点在していました。
(写真:グラッソーB&Bランドレディーと)

((ヘレンキームゼー城))

いよいよルードヴィヒ2世の残した3番目の遺産ヘレンキームゼー城に近いグラッソーと言う町に到着。インフォメーションセンターでやっと宿を探してもらって一安心です。 

この宿はオランダ宿泊先のアンナのようなランドレディが経営している心地よく過ごせる宿で、ロビンも部屋に泊まる事ができましたが、やはり、落ち着かず吠えてしまうので、仕方なく、又、車で過ごす事になりました。

一夜明けて、ヘレンキームゼー城のあるキームゼー湖を目指して出発しました。 
(写真:キームゼー湖女島)

このキームゼー湖は面積が79.9平方キロメートルある「バイエルンの海」と言われている淡水湖で、湖の中にヘレンキームゼー(男島)とフラウエンキームゼー(女島)の二つがあり、男島にヘレンキームゼー城が聳え立っています。 

この城はフランスのヴェルサイユ宮殿を模して建造されたもので、内部は豪華なものですが、いまだに未完成の侭の部分も残っております。結局ルードヴィヒ2世は完成を見る事ができなかったとの事です。

今まで、ルードヴィヒ2世の遺産となった三つの城を訪ねてきましたが、この築城のために国の財政が破綻し、後にバイエルン王国はプロシャ王国に併合されてしまう結果となりましたが、その遺産が今では、ドイツの観光資源として、立派に役に立っているのは皮肉なものです。


当日の午後は近くにあるカンペンバンド山にロープウェーで登り、キームゼー湖やオーストリアの山並み等美しい景色を満喫することができました。

下山すると、丁度チワワ犬を三匹連れたご婦人と出会い、しばし、犬談義に花が咲きました。 ペットとの旅は本当に現地の人とのコミュニケーションに大いに役立つことを実感しました。

翌日は再び、キームゼー湖に行き、もう一つの女島に上陸しました。 ここは修道尼院と少数の民家があるだけの小さな島ですが、緑と花の平地が開けており、ロビンもリードを外して飛び歩かせました。 久し振りに開放感を味わったのではないでしょうか。

宿のランドレディーの話によると、かってのプロシャ王国とバイエルン王国の違いかもしれませんが、北ドイツとバイエルン州では気質が違い、北の人々は少し冷たい印象であるのに対して、バイエルンでは陽気で明るいとの事でした。

確かに、バイエルン地方ではスーパーでもホテルの受付でも年配のご婦人が明るく、活発に活躍しており、ランドレディーの話を証明しているようでした。 

何処の国でも、南北、東西で所変われば気質も変わる傾向があるのではと感じました。


((ケーニッヒ湖))

キームゼー湖で二日間過ごした後、ドイツ最後の訪問地であるケーニッヒ湖へと行きました。 

ケーニッヒ湖は20km先にはザルツブルグがある、オーストリア国境に近い山岳地帯にあり、高い山に囲まれた大変神秘的な深いエメラルドグリーンの湖です。

湖面は油を撒いた様に波ひとつなく、その上をエンジンの音も静かに遊覧船がすべるようにゆっくりと進んで行きます。 

途中船を止め、船手がトランペットを吹いてくれますと、その音が山に響きます。 船は巡礼教会のあるバッツマン山の麓まで行き、此処で休憩して折り返し帰ります。大変貴重な体験でした。

この近くにはヒットラーの別荘があることでも有名であります。


((ザルツブルグでの災難))

ケーニッヒ湖からザルツブルグまで、僅か20kmのドライブですが、一応国境越えとなります。 しかし、国境では役人はいるものの、なにも検査もなく簡単に入国できました。ヨーロッパは本当に国境は無きに等しい状態のようです。 

ザルツブルグはその名の示すとおり(塩の砦)で、紀元前1000年頃から塩の採掘が行われていた塩によって栄えた都市です。 

人口は15万人位で決して大きな町ではありませんが、町のシンボルであるホーエンザルツブルグ城がランドマークの様に高く聳えたち、町の真ん中をザルツアッハ川が流れ、旧市街のゲトライデ通りでは、各店が可愛い看板で飾り、大変魅力的な町です。 

しかし、市内の道は一方通行が多く、やっとの思いで予約しておいた宿に到着致しました。 

その名はインターナショナルホテルですが、ホテルとは名ばかりで、実際は若い人の為の語学学校のようでした。 

部屋は学生寮そのものです。 このホテルには日本人の青年が宿泊しており、英語の勉強をしておりましたが、その日が終了日で両親が迎えに来てルーマニアに帰るとのことでした。 

いまさら、宿を変える事もできないので我慢することにして、一応市内観光へ出かけました。 

ザルツブルグはモーツアルトの故郷でもあり、音楽が
盛んなところですが、丁度、ザルツブルグ音楽祭の開催期間中であり、夕方の街は音楽会に出かける人なのか、盛装した人々のそぞろ歩きが多く、フェスティバルホールの前には、馬車でホールに乗りつける人など、何とも華やかな雰囲気に包まれていました。

さて、その夜のことです。 例によって、ロビンが物音に反応して吠えていたところ隣室の娘さんから抗議がきた為、矢張りロビンは車に泊めることとなりました。 

ホット一息で寝る事にしましたが、郊外の為か、部屋の中に大量の蚊の襲来があり、悲鳴を上げる始末です。また、部屋も掃除が行き届いてなく、ゴミも散乱しており、もう我慢もできないので、後一晩の宿泊予約をキャンセルすることに決め、翌朝、美しい女性スタッフに事情を話し、予約キャンセルを申し入れ、デポジット金からキャンセルの差額金も受け取って退散いたしました。 
後日談になりますが、オランダに帰って暫く経つとこのホテルから無断でキャンセルして逃げてきたとの抗議の手紙が舞いこんできましたが、女性スタッフの了解のもとにキャンセルしたと説明し、「日本人はその様な悪い事はしない、大いに傷つけられた」と啖呵を切って返信したところ、丁寧にも詫び状が届き、溜飲をさげました。 

旅行ガイドブックによって予約したホテルでしたが、ガイドブックも100%信用できないと肝に銘じた次第でした。

さて、次なる宿泊所の当てもなく飛び出したわけですが、この後どうなりますか、次回にお話いたします。




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南部アフリカ紀行第4回  (ジンバブエ、ザンビア、ボツワナ、南アフリカ) 岩井光雄

(写真:『建設中のワールドカップケープタウンのサッカースタジアム』)

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アフリカといえば広大な大地と果てしなく続く大自然、部族紛争、砂漠化、貧困等を連想される方が多いと思いますが、南アフリカ共和国はアフリカ大陸最南端に位置しアフリカ大陸最大の経済力を持ち高度に都市化された近代国家で、全く異なるイメージにびっくりされる方も多々あることと思います。

かつては“アパルトヘイト(人種隔離政策)”がとられ、黒人を弾圧する暗い時代を辿ってきておりますが、1994年に初の黒人大統領、ネルソン・マンデラ氏が誕生してから急速に改革が推し進められ、2010年の南アフリカでのサッカーワールドカップの開催が改革の象徴となっています。

ヨハネスブルグ国際空港の空港ビルの増築、プレトリアの地下鉄建設、ヨハネスブルグ、ケープタウンを始めとする主要都市でのサッカー場の建設等が進み、とても昨今の世界経済不況が感ぜられない活況を表面上は呈しておりました。

資源国家でもある南ア経済は国際資源価格に左右されますが、トヨタ、ベンツ等の自動車の生産は自国で賄っているほどの高い工業水準を持っている近代国家でもあり、南アフリカ共和国の未来は洋々たる物があります。

そんな南アフリカでは近年、観光事業に力を入れており、観光資源には事欠かない国だけに見所は無尽蔵といっていいくらいにたくさんあります。その内の一端を今回訪問してまいりましたのでご案内いたします。
* プレトリア

写真:紫色に咲き誇るジャカランダの花 ジャカランダの花(木).『プレトリア、紫色に咲き誇るジャカランダの花』

南アフリカの行政府の首都で、商都ヨハネスブルグの北50kmに位置し、100ヶ所の公園を有するガーデンシティで、日本なら春といえば桜だが、南アフリカの春を代表する紫色のジャカランダが咲き誇るプレトリアを訪れてまいりました。ジャカランダは南半球でポピュラーな花で昨年もアルゼンチンのブエノスアイレスで見るチャンスがありましたが、5万本から7万本と言われるジャカランダが一斉に咲き乱れる様はまさに世界No.1の圧巻と言って良いでしょう。

プレトリア市内は首都らしく網の目上に整然と整備され、その全ての街路の両脇、公園、庭々に1850年代からの歴史を積み重ねて植えられたジャカランダは街全体を紫色に染め、一度は訪れることをお勧めする景観です。

ちなみにジャカランダの花は全体を見ている分には桜を紫色にしたような感じですが、個々の花びらを詳細に見てみるとジャカランダはラッパ状の形をした細長い花で、桜とは似ても似つかぬ形状をしておりますが、花全体を見た感じはまさしく“紫色の桜”です。面白いものですね。

花見に興じながら1994年5月10日に正面の会談でネルソン・マンデラが大統領就任演説を行った政府の中枢機関が集まっているユニオンビルディングの美しい庭から紫に染まったプレトリア市内を一望し、さらに英国の支配から逃れ、ケープ地方から独立国を作るために牛車を連ねてこの地にたどり着いたボーア人開拓者をたたえて建設されたモニュメントを訪れました。

南アの白人は大別してオランダ系のボーア人とイギリス人が主流を成していますが、このモニュメントはボーア人の子孫にとって聖地となっている由緒ある歴史的建造物です。



*人類の起源

人類の起源はアフリカにあり、アフリカから世界各地に散って現在の世界人類が形成されているという学説を裏付けるウィツ大学のオリジンセンターを訪れ人類の起源、ヒトの進化の歴史を勉強し、その後人類のゆりかご、世界遺産のスタークフォンテン洞窟を訪れ見学しました。

260万年前の成人女性の頭蓋骨がほぼ完全な形で発見され、その頭蓋骨は”ミセス・プレス”と名付けられ貴重な資料として大切に保管されています。人類の進化の歴史を知る手がかりとなる化石の発掘が相次ぎ、500種類以上のヒト科哺乳類の化石が発見されこの種の化石発掘量は世界一と言われています。現在でも発掘作業が続けられております。


*世界最大級の隕石衝突跡

ヨハネスブルグの南西100kmに世界遺産のフレデフォート・ドームという30億年前に衝突したと見られる巨大な隕石衝突跡があります。その衝突跡は中央のドーム(直径約50km)とそれを取り囲む外輪山(リング、約300km)からなっており、衝突時の岩が溶けてそれが冷えて固まってできた岩を地中から掘り出してその岩々が各所に転がっておりました。

それらの岩は溶岩が流れた跡が幾重にも刻まれている現象が特徴となっています。

気が遠くなるような長い年月が経過して地表の様々な変化により隕石跡が失われてゆく中において地球の進化を解明する貴重な存在となっています。現在残されているのは50km程となっています。


写真撮影:中川一紀・岩井純子

(次号につづく)

 

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