| ◇ 第 1 回 ◇ 【最終更新日 九月十五日(金)】 |

|
|
 |
|
渡辺さんは、ぼくの在所の生家に近い谷奥の村で炭焼き、米づくり、郵便配達などしてくらしている人である。この人がいつから絵を描きはじめたのか知らないが、はじめてその作品に接した時、異妖な気持ちに襲われた。荒れた廃窯の口が黒いくずれ穴になっていて、名もしらぬ野草が茂り、かれんな花が咲き、蝶がとび、女郎蜘蛛が巣であぐらをかいていたからである。具象派ではあるが、憑かれたような炭窯への哀愁感がただよい、そこで働く者でしか見られない、微細な花や葉や土のうつろいが現然していた。たとえばひとりの労働詩人が、炭切れをもつて、地めんに書いた歌がある。同じ谷に生れながら、このような人がいたことをぼくはありがたく思い、時々、そのアトリエを訪れた。が、めったにいたことがない、山へ炭焼きに出たり、野良へ草とりに出ているからである。殆んど家にいないこの人が、絵にとり組む時間は深夜なのだろうか。
世間にはいろいろ風変わりな画家はいるけれど、観念的な土俗思考などに背をむけて、ひたすら、自分の眼でしかとらえられない炭窯の、黒い穴のような口を描きつゞけるこの人の執念に脱帽する。
そういえば、この人はこの谷奥にへばりついてどこへも出ない。展覧会に入選しても黙っている。そういうところも好きである。
|
| 1978年 |
◇ ◇ ◇
|
|
 |
|
 |
タイトルを付けるのに色々と考えた。 「佐分利川日記」、 「川上日記」、 「小さな谷」、 どうも面白くない。 第一僕は、 あれやこれやと迷う性(たち)である。 決断力がない。 見た目には、 体も大きく、 顔付きからして豪放的に見られているようだが、 笑われてしまうような事でもネチネチと引きずって生きている。
いくつも並べ立ててみたが、 決定的なものが浮かばない。 元旦からの年賀状配達もやっと落ち着き始めた或る日、 遅ればせにきた自分への年賀状を見ていて、 「オッ」 と思わず声が出た。
福井県大飯郡大飯町川上、 山椒庵、 渡辺淳様。 東京の出版社で親しい或る編集者からのものである。 山椒庵、 これだ。 これに決めた、 と思うと同時に、 ゲラゲラ笑っている編集者の顔が浮かんだ。
決まった次第を話さねばなるまい。
郵便配達に廻っている折、 小さな谷あいに一軒だけあって、 冬の雪の多い時など、 正直云って、 この家さえなければ大分楽なのにと、 いまいましく思っていた折、 そこの主人が、 「郵便さん、 長いことうちだけの為にここまであがって貰うて、 すまなんだのう、 今年の秋には向かいの陽当たりの良い賑やかな所へ新築して引っ越そうと思とるんや」 と話して呉れた。 そして、 この家は壊すのだと云う。
かねてから一人でいる場所がほしいと思っていた僕は、 壊すんなら借して貰えないだろうかと頼みこんだら、 こんなところでよかったらどうぞと云うことになり、 その話が決まったのは夏だったと思うが、 秋になるのが待ちどうしかったのを覚えている。 4年ばかり前のことである。
家族達も僕も世間風にアトリエと呼んで僕は気儘に飯だけ食いに帰って、 この静かな一軒家に寝起きしている。
いつ頃だったか、 去年の春頃だったかも知れない。 一滴文庫で気の合った連中4、 5人でお茶を呑みながら、 ゲテ物食いの話がはずんでいた。 山椒魚を昔食ったことがあると僕がその場を制した如くに話している最中、 用足しにでも行っていた水上先生が現れて 「なんやて淳さんが山椒魚を食った云うんか、 そんなら共食いやがな」。
妙を得た一言に座はドッと湧いた。 丁度僕の真向いにいた編集者のNさんの今にも泣くかと思われる程の笑い顔を想い出したら、 こっちもおかしくなつた。
Nさん (彼女である) はそれ以来、 原稿依頼や通信に必ず 「山椒庵」 と書いて寄こすのである。 だれにも今の今迄、 山椒庵のことなど公表していないし、 アトリエの表札にも渡辺淳だけの表札で、 山椒庵は彼女と僕だけにしか通用していない筈である。
この稿始めて 「山椒庵」 を名乗ることにする。 山椒庵日記はかくして、 つれづれなるままに始まる。
|
◇ ◇ ◇ |
 |
|
 |
ここに来た春、 山仕事に出掛ける道端のタメ池で、 亀に片足を食われているガマ蛙を見て2匹を引き離したが、 近くにいると、 またガマがやられるかも知れないと、 ガマを持ち帰り庭の小さな池に放してやった。 夏になって夜おそく帰ると、 玄関の外燈の下に必ずそのガマが正座して僕の帰りを待っていてくれるのである 〈実は外燈の灯(あかり)に寄ってくる虫を食べにきているのだが〉。 そのことを友人に話したら 「顔がよう似とるから仲間と思とるんやろ」 と笑われたが、 僕は恩を感じているのだと思いたいのである。
冬が過ぎ、 2年目の春の朝、 池に何処から現れたのか、 もう一匹のガマが加わって交尾をして、 点々と数珠のような透明の太いヒモ状の卵を池一杯に生みつけていた。 やがて池が真っ黒になるほどオタマジャクシが誕生した。
子供の頃、 ガマ蛙の大きなオタマジャクシをみたことがあったが、 これが全部一人前になると大変なことになる。 エサは何がいいのだろう。 ともかく何とかしなくてはと、 米糠を練って毎朝池に沈めたり、 もう一つ池を掘ろうか、 溢れてきたら谷川へ少しずつ移そうか、 そんな思いをよそに、 一向に広がりもせず溢れもせずオタマジャクシは大きくなってゆく。 共食いするのか、 他の生きものが食べるのか。 一夜明ける度に塊は小さくなり、 やっとうしろ足が出た頃には数える程になっていた。 雨の朝、 5、 6匹の前足の出た小さな蛙の子が池から上がって草むらの中へ消えるのを見た僕は、 安堵と空しさのようなものを覚えた。 始めはどうなることかと心配しながらも何千匹ものガマ蛙に囲まれて暮らせるかも知れない……。 そんな夢をみないでもなかっただけに、 自然の摂理の妙に感じ入ったり、 空しがったり。
それから間もない暑い日の午後、 山仕事に出掛けようと仕度していた所へ来客があり、 縁側の戸を明け風を入れて客を通し、 一寸応対した。 忙しそうだから帰ると客がいうので戸を閉めようとして 「アッ」 と声を上げた。 ガマが大きな青大将にまたまた足を呑まれて血だらけになって目の下にいたのである。 僕はすぐさま飛び出し手近にあった鍬を持ってきて青大将を切離し、 谷川の向こうへ投げとばしガマを助けた。 血だらけの足を引き摺ってガマは縁の下に入っていった。 夜行性だから昼間は縁の下の暗い所に潜んでいたのだろう。 そこを青大将に襲われ、 必死になっている所で、 僕の話し声を聞き、 夢中になってはい出してきたに違いない。 やっぱり僕にただならぬものを感じているらしい。 いつかの朝、 土間の隅にガマのウンコをみつけた。 大きなガマが入れる所などない筈である。 どこから入り込んだのだろう。 ひょっとすると僕の寝ている枕元に座って、 一晩中僕の顔を 「よう似た奴」 とのぞきこんでいたのかも知れない。
|
|
| *次回更新予定日は九月二十二日(金) |
|
| <<<<<<<<<< genkigaderu.net >>>>>>>>>> |
| HOME |
|