第12回
 果物など食べ物を探して歩いていると、なぜか、一羽のオオムがわれわれの後についてきた。
 棒で追っても、高枝に止まって、われわれの後を枝から枝へ飛んで付いてきては、何か訳の分からないことを叫ぶのだ。うっかり敵兵に感づかれでもしたら大変だ。早くどこかへ追い払いたいので、木の枝を揺すったり、石を投げて脅かしたがますますけたたましい声を出して、われわれにまつわり付いてきた。終いには勝手にしろと、放っておいたら、そのうちどこかへ飛んでいってしまった。とんだことから敵に捕まるきっかけになってはと、はらはらし通しだった。







別天地


 とにかく、知恵をしぼって、努力次第では食べ物はなんとか手に入るし、防空壕の中でじっとしていた時から比べれば、まるで別天地だった。
 クルミは石の上において、石で叩き割った。
 若いパパイヤは出来損ないのキュウリのような味なので、切って海水につけ、浅漬けにすると結構食べられた。
 現地人が木の葉をかぶせて隠しておいた山芋を見付け、一、二本ずつそっと持って来た。一度に沢山なくなると、現地人に疑われる原因になるからで、われわれはどんな時にも用心の上に用心をしていた。
 山芋は現地人の納屋にあった空き缶へ内側からぼつぼつの穴を幾つも開けてささくれを作り、おろし金のようなものを作って下ろした。このままでは食べにくいので、日本で鷹の爪と呼んでいる唐辛子をわずかに刻んでいれて、かきまわして飲んだ。この鷹の爪は体がぽっぽと燃えるように熱くなり、裸の冷えた体には温まって都合が良かった。
 こうしてだんだん贅沢になり、魚も食べたくなった。木に上がるダボハゼのような魚は、何匹も木に止まっていたかと思うと、人の気配で一匹がポチャンと海水へ飛び込むと、仲間が一匹残らず逃げてしまい、つかまえるのに苦労した。
 これも現地人の家にあった蚊帳を失敬してきて、タコの葉でなった紐と蔓の皮とで、四つ手綱を作った。椰子の実のコプラを貝殻でかき出し、細かく切り刻んでこれを四つ手綱の中に入れて餌にし、このダボハゼに似た魚を捕った。とり過ぎたものは、はらわたを出し、干物にしようと朝干して夕方取りに行ったがウジがわいていた。こんな失敗もあった。
 釣針を見つけたが、釣糸がなく釣はできなかった。
海岸の、海水に浸っているマングローブの根についた牡蠣がいくらでも捕れた。石で殻を叩き、口を開いたところを包丁でこじあけた。しかし、固いものはとても食えなかった。
 ビンに海水を汲み、日向に下げておいて、3、4時間後に取りにいくと、濃い塩水になっていて、これを持ち歩いた。芋を食べるときや、漬物を作りたいときにはどうしても必要な調味料だった。塩水をトタン板に流し、塩を作ったこともある。
 飲み水は、あちこちに穴を掘り、穴の底へタコの木の葉や芋の葉を敷いて、雨水を溜める水溜まりをいくつも作っておいた。
 水にはぼうふらがわいたが、飲むときは、水面に浮かぶぼうふらにフーッと息を吹きかけ、驚いて底のほうへ沈んだところを口をつけて素早く飲んだ。たまにはぼうふらを一緒に飲み込むこともあったが、いまのわれわれには結構な飲み水になった。

 バナナ畑の木を切り倒し、バナナの房をとって穴の中に埋め、枯れ葉をかぶせ、土を掛け3、4日たつと柔らかになって食べごろになった。こんな穴を何か所も分けて作っておいた。
 南洋りんごは、実の中にウジがわいているぐらいでないと、甘ずっぱい美味しさではなかった。また、蟻がたかったり、蝿がたかったりしているものには毒がなく、人間も食べられるものだった。
 マンゴーも拾って食べた。
 食べ物の見つけ方、毒か毒でないかの見分け方、知恵、ものを作る工夫は、都会育ちの宮川より私のほうが勝っていた。窮すれば通ず、ということを自然に会得したわけだ。

                                  つづく
第13回は3月2日(火)の予定
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