第23回
 私の番号は661。そしてここでも偽名の田中を名乗った。
 軍隊では戦陣訓の「生きて虜囚の辱を受けるより死を選べ」と教えられ、敵に捕まるなど最も恥じとし、軍人にあるまじき行為として、軍隊ばかりでなく日本人の全てから侮辱されている。しかし、この収容所にいた巡洋艦「古鷹」の乗員だった人たちは、上官から三等兵まで全員が一度に捕虜になったせいか、みな本名を名乗っていた。
 最初この収容所は、一つのテントに10人が入れられ難民キャンプのようであった。負傷者、マラリヤ患者がほとんどで、多少動ける栄養失調ていどの者が炊事洗濯をしていた。
 マラリヤには2日目に症状が出る2日熱とか、人によってそれぞれ違っていた。
 私もマラリヤにかかっていた。収容所へ来てほっとした気のゆるみからか、ここにきて初めて症状が出はじめた。私のは3日目にでる3日熱で、悪寒がはしり、体全体にケイレンがきて歯が合わなくなり、どうにも止まらなくなった。仲間に毛布を沢山掛けてもらっても止まらない。毛布の上から仲間に乗ってもらい、押さえ付けてもらっても、それをはね飛ばすほどの激しいケイレンであった。
 暫く時間がたつと今度は逆に体が熱くなって、40度を越す熱が出た。裸になろうが、水を飲もうがおさまらず、汗びっしょり、熱にうなされて頭の中がガ〜ンとし、時間がたつうちに夢から目覚めたようになる。
 いままでのことが嘘のようにけろっとした。これが3日ごとに定期的にやってきた。
 ある者はこれで頭がおかしくなり、死んだほどであった。症状の出るとき以外、日常生活にはなんら支障がないという奇妙な病気であった。
 マラリヤの薬はアスピリンしかくれなかった。敵の軍医の言い分は日本軍がマラリヤに効く薬、キニーネの採れるボルネオを占領しているから薬がない、のだそうだ。
 シラミが大発生し、ホワイトチーチーなどとよんでシラミ退治に大童だった。天気のよい昼間は30度近くなるので、全員ふんどし一つになって衣服の縫い目にかくれるシラミを文字通りシラミ潰し、だがとても取り切れるものではなかった。
 釜に石鹸水を沸騰させて、その中へ衣服を放り込み煮沸消毒もしたが、それでもシラミは執拗で居なくならなかった。

 南極に近いせいか、われわれ日本人が見たこともないような神秘的な光景に出会い、感激することが多かった。

   
 山のほうで雨の上がった夜、くっきりとした夢のような虹を見た。通訳のロバートソンは3年に一度ぐらい見られると言った。
 月の大きいのにも驚いた。日本でみるより何倍も大きいのだ。

  
 白アザミの花が終わると、タンポポの綿毛と同じように飛ぶ光景は素晴らしかった。

 山や木々の黒をバックに風に身をまかせて、何百メートルもの帯となって、雲や煙のように吹き飛ぶ様はこの世のものとは思えない、天国の風景かと錯覚するほどであった。

                                つづく
第24回は5月18日(火)の予定
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