第24回
 この収容所に来てから、私は眠るのに床へ横になって、両掌を組まないとどうしても眠れなくなっていた。
 右か左に体を横にしてみても、結局は棺おけに入ったときのように、仰向けになって両掌を組まなければ眠れない。この現象は一体なんなのだろう?
 生きているのは形ばかり、中身は魂のない抜け殻で、実は私はすでに「仏」になっているのではないのか?夢などにうなされることはない代わりに、この不思議な現象に人知れず、ずっと気に病んでいた。時折、東京にいる両親、家族のことを思い出すこともあるが、それもただぼんやりとして幻影のように消えてしまう。
 その頃は士官も下士官も同じ柵の中にいた。
 ニュージーランド兵は、日本兵、特に下士官はなにをするか分からないと恐がり、夜などなにか用事があるときはゲートで話し、柵の中へは決して入って来なかった。
 下士官の強硬派は志願兵に多かった。夜、上官のいる士官室へ乗り込んできては、
「このままおめおめと敵の捕虜になっているわけにはいかない。日本はまだ戦争をしているのだ。座して戦局の推移を見守るより、後方部隊として敵を攪乱し敵にひと泡吹かせ、われわれは全員名誉の戦死を遂げよう」
 と息巻いていた。この捕虜収容所のどこに弾薬庫があり、どのぐらい武器があるとかを調べ上げ、しきりに暴動を起こそうと士官たちをけしかけていたようだった。




フェザーストン捕虜収容所発砲事件


 半年ぐらいたって、道を隔てたところに、木造で間口一間(1.818メートル)奥行き2間ぐらいの三角屋根の犬小屋のようなものが沢山並びはじめた。
 この建物が、われわれの移る、新しい収容所小屋であった。




       

 このとき士官7、8人と下士官以下と同じ第2キャンプ(収容所をキャンプと呼んだ)内であったが、別柵へ分けて収容されたために、お互いに接触できなくなって暴動の話はしばらく沙汰やみになった。
   
 下士官の強硬派に辟易して、士官らがニュージーランド側へ居場所を別にしてくれと頼んだのではないかと噂された。
 小屋には床板の上にすのこのようなベッドが4つ並んでいた。この上に藁布団を敷いて寝るのである。

 この3つの小屋の12人が一個班とされ同じ船の仲間同士や、一緒になりたい者同士の希望が入れられて班をつくり、班長には下士官がなった。小屋は25班分並んでいた。
 宮川とはグループが別になり、この時から別れ別れになってしまった。


                  つづく

第25回は5月25日(火)の予定
読み終わったらこのウィンドウは閉じてください。