第29回
 日本人はいつも何かを探し回り、工夫しだいで何かに使えないかをつねに考えていた。コンクリート工場へ作業に行けば、一時与えられた金ノコをわざと折り、刃の短い方を折れたことにして、長い方を持ってきてしまったり、コンビーフ缶を巻き開けるネジは穴が開いているので糸を通す針に延ばして使った。
 また金ノコで切り出しナイフを、5寸釘は火で赤く焼き叩いて小刀を、自動車の壊れたスプリングでかんなの刃を、板金をヤスリで擦り鋸の刃も作った。これらの刃物は柱の中をくりぬいた中や床板の下へ、例え点検があっても分からないような場所に隠して置いた。
 こうして作った道具を使って、人形、模型の船、麻雀のパイ、花札、トランプ、囲碁、将棋、暇にまかせてあらゆる遊び道具を作った。
 収容所側に要求して貰った画用紙と集めておいたタバコの箱を芯にして張り合わせ、つけペンのようなもので花札や、トランプの絵を描いた。鉄パイプをといてパンチのように刃をつけ厚いボール紙を丸く切り抜き、白は石灰を溶かし、黒は靴墨を塗って碁石を作った。外の作業のときに針金、釘などなんでも拾って隠しておく。とにかくありあわせの道具と材料でいろいろな立派な遊び道具を作った。日本人の特性である器用さが、ここで大いに発揮され、気持ちにゆとりができて慰められた。
 ニュージーランドの通訳のロバートから
 「切れ物を持たないでどうしてあなたがたは、こんなにいろんな物が作れるのですか?」
 と半ばあきれ顔で訊ねられた。
 また、コポロ(伍長)のジャックという兵隊は、トイレのちり紙や洗濯石鹸を補充にきては、われわれの小屋へ寄って、「オハヨー」といいながら、内部をぐるりと見回しては、われわれの作ったものを見付け、珍しがって買っていくようになった。その時はニュージーランド貨幣で払ったり、ちり紙や石鹸などと代えていく場合もあった。われわれのところへ「オハヨー」などと言って気軽になぜ入ってくるのか分からなかったが、彼はわが方の動静を探るスパイ役のようでもあったらしい。
 われわれは収容所の作業をすると時間給で、1時間に2ペンス貰えるようになった。強制的に口座をつくり1割程度貯金をさせられて、残りを収容所内だけに通用のお金で貰った。このお金で所内の売店で決められた曜日に売り出す靴下、タバコ、歯磨、などが買えた。
 戦時中捕虜に、わずかとはいえ賃金が支払われていたのは、前代未聞のことではなかろうか。だが、これはまこと事実である。
 こうしてみると、収容所はばかに自由で快適のようにも見えるが、つねにわれわれの頭の中には、一体何時までこんな生活をしていられるのか、内地はどうなっているのか、日本軍はどうしているのか、この戦争が何時まで続いて、日本が負けたらわれわれはどうされるのかと、不安がつきまとっていた。日露戦争のときの捕虜のように、われわれも働きずめに働かされた挙句、最後は殺されるのだと、まことしやかにへんな噂が流れたこともあった。
                                 つづく

第30回は6月29日(火)の予定
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