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ラッパ吹き 捕虜の中で、捕虜たちの統制をとらせるために、管理役というものを置くようになった。役員としては収容所側と折衝する渉外役でキャンプの代表ナンバーワンが1人、捕虜全体をまとめるナンバーツウが1人、その下で診療室2人、賄い6人、売店1人、作業賃金を計算、貯金と支払いをする労務兼会計係1人、時間を知らせるラッパ吹きが2人、そのほか炊事をする烹炊員、看護兵、などが選ばれた。 私は巡洋艦「古鷹」の信号兵であった、三輪弥平兵曹に可愛がられていた。この人はラッパ吹きの名手でもあった。わたしにラッパを唇だけでくわえてみろといった。くわえていられると、唇にそれだけ力が入ってラッパは自然に吹けるようになるというのだ。おまえ俺と一緒にラッパ吹きになれといわれ、三輪兵曹の助手になり、班も同じになった。 他の班員には、収容所側からいわれる作業者人数を公平に各班へ割り当てる係りがあり、われわれのキャンプではナンバーワンの先任下士官、駆逐艦「暁」の信号長の宮崎(内地へ帰還後、本名岩崎由雄とわかる)と、班員から買いたいもの例えば歯磨、石鹸など頭の髪をのばしはじめた者のポマードなどの注文をとり、支払いをまとめる売店係りの原兵曹(帰還後、本名藤江浅一)がいた。 ラッパ吹きをはじめこれら役員には、金額は忘れたが収容所側から月々わずかとはいえ給料が支払われた。 以後、私はラッパの練習に一人励んだ。夜、誰もいなくなった真っ暗な食堂で、ラッパの口管だけを口にあてプププーと吹いた。一人で練習のときにうまくいっても、いざ人前に出るとプスーと鳴るだけで皆に笑われた。うまく吹けるまでには大分時間がかかった。 整列のラッパは海軍式に、15分前、5分前を知らせて歩いた後、その時間にラッパを吹いた。誰からも笑われなくなると三輪兵曹の代役も務めた。総員起こしの朝6時の起床ラッパ、時間が正確なのでニュージーランド兵までこの起床ラッパを聞いて起きてくるようになった。人員点呼、朝食、8時5分前に作業整列、昼食、夕食、消灯の合図、間に集合の合図、吹かないときは全く自由で、慣れればこんなに楽をしていていいのかと思うくらいの仕事であった。 こうして私はラッパ吹きの大役があるため、ほかの3人と同じように作業へ出ないでもよくなった。 三輪兵曹には役目を忘れることがあってはならないと、碁、麻雀、将棋、花札、トランプの遊びは一切厳禁ときびしく言い渡された。しかし、こっそり麻雀はしたが、遊んでいても、時間ばかり気になって勝負は上の空だった。11時30分になると昼食の用意ができているか見に行ったり、12時50分には1時の作業整列ラッパの準備に外へ飛び出し、腕時計を睨みながらラッパを吹いた。 作業労働には、作業員15人から20人が集まり、人数の確認をして作業確認をするニュージーランド兵の伍長へ割当ての人員を渡した。この作業員集合合図は、ラッパ吹きの重要な役割であった。 われわれは昼間、門の入口にある診療所にたむろしていた。 抜打ちに検査があると、ラッパの練習のふりをして合図のラッパを吹き所内に知らせてやった。刃物づくりをしているものは、慌てて隠したはずだ。 このように、ラッパは本来とは別の効用もあった。 つづく 第31回は7月6日(火)の予定 読み終わったらこのウィンドウは閉じてください。 |