第31回
 パンツ、シャツ、靴下など、穴があいて使えなくなったものは、月1回、ニュージーランド兵が使った中古品と換えてくれる交換日があった。
 こちら側から代えたい物と数量を「QMストア」(日用雑貨の交換所)へ事前に知らせるのもラッパ吹きの仕事であった。
 ニュージーランド側から今月は何着まで交換という通報があり、あらかじめキャンプ内で決めた者だけが、古い衣類を持って私の後についてくる。内側の柵を出るとき、「QMストア」と告げると、警備兵は私の腰につけているラッパを見ただけで、黙って通してくれた。また、自分一人の場合でも私の番号「661 ホスピタル」などと行き先を告げ、帰る時間を書いて渡すと、すぐ門を開けてくれた。
 QMストアでは靴やズボンのようなサイズのあるものは面倒だった。捕虜仲間には小うるさい奴もいて、ぴったりサイズが合わないと文句を言い出し、そのたびに英語の喋れない私が、相手と手まねで交渉するのではほとほと疲れ、ラッパ吹きもなかなか楽な仕事ばかりではなかった。


                                   




平安
 所内が落ち着いてくると、半年に1回、各班で演芸会をやった。シロウトながら芸達者な兵隊がいて芝居をやり、出し物は赤城山の「国定忠治」や「瞼の母」の番場の忠太郎などの時代劇が多かった。
 私は道具方を手伝った。かつらは最初は紙で作っていたが、それではあきたらず、演技者の頭の形を針金でとり、紙を張り付けた上に馬鈴薯などをいれる麻袋の糸を髪の毛にして、取っておいた飯粒ののりで細かく張り付け、黒の靴ずみを塗って仕上げた。
 伊藤兵曹は木で刀を作り煙草の銀紙を張った。陸軍の坂口さんは長唄の師匠だったので三味線まで作った。
 最初は砂糖を入れる袋のクラフト紙を貼り付けてみたが、音がまるで駄目。兎の皮をはいでやったがこれも駄目。やはりどうしても猫にかぎる。猫をなんとかして欲しい、と考えた彼は罠に掛かった兎を食べに野良猫がやってくるのを知って、とうとう猫を捕まえることができた。三味線の糸は収容所側に頼むとチェロの太い弦をくれた。これを割いて、太いところは剃刀の刃で削り、ローソクでみがき上げて出来上がり、仲間たちを驚かすほどいい音色を響かせた。
 高橋さんはバイオリンまでつくって演奏した。
 演芸も本格的になり、ニュージーランド側の将校たちや通訳たちも見学にきて大喜び。敵味方もなく、みんな一緒に楽しむようになった。映画も時折観光や島の風物など、捕虜には当たり障りのないものを見せてくれるようになった。
 私は昼間診療所にいながら2、3カ月かけて九七式大艇の模型をコツコツ作った。ここの柳の木は柔らかいので削りやすく、サンドペーパーをかけ絵具まで塗って仕上げた。敵さんは細工をする程度の小さい刃物は何もいわなかった。ジャック伍長は来るたびにこれを「ハウマッチ?」と欲しがるので、何ペンスかで売ることにした。
 小物からだんだん大物を作るようになると、やはり今の道具ではあきたりず、ジャックにお金はいらないから絵具が欲しい、絵筆を持ってきてくれと頼んで、すこしずつ道具を揃えた。


 こうして捕虜生活も、最後の頃にはニュージーランド側と日本側とのお互いの交流が盛んになり、すこぶる友好的になっていた。自分たちの小屋の空地に家庭菜園のようなものをつくり、小松菜、にんじんなど野菜や、花などをつくってわれわれの栄養源にした。収容所の警備兵の中には、われわれ捕虜に
 「ニュージーランドと日本は戦争しているけれど、お前と俺とは友達同士」
 と言ったり、日本人はよく働くので
 「捕虜の年季が終わったら、俺の妹と一緒になって、皆で暮らさないか」
 と結婚を申し込まれた者もいた。
                                 つづく

第32回は7月13日(火)の予定
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