第32回
オールセーム?

 ある日、ニュージーランド兵が突然、
 「ウオー  フィニッシュ」
 と口走った。
 「えっ!どっちが勝ったんだ? 停戦か?」
 と聞けば、
 「オールセーム」
 というだけで要領をえない。「すべて同じ」、なにが同じなのか、さっぱり意味が飲み込めなかった。
 はじめのうちは分からなかったが、収容所側は日本人が「敗戦」を知れば、何をしでかすか分からないので、厳重に口止めを言い渡されていたらしかった。戦争は終わったのだ。
 1945年(昭和20年)12月28日頃、この捕虜収容所のニュージーランド側から正式な司令が日本側へ知らされた。何日までに身の回りの整理をするようにとの帰還通達が届けられた。班員が通達を囲んで見た。噂はやはり本当だったのだという思いと、いや、そう言っておいてどこかへ連れて行く口実ではないかと、全員半信半疑だった。
 現地の人たちと仲良くなった者で、こちらへ残ると言い出す何人かの兵隊もいた。が、そういう者たちも、一旦日本へ帰ってから出直すようにと説得され、いそぎ帰還準備に入った。

 半分疑いながら、やはり待ちに待った日本へ帰還できる期待とで、キャンプ内はどの部屋も歓びにあふれた。
 帰るのにこんなものを持っていると取り上げられるとか何や、かやと声高に笑い声が飛び交った。ニュージーランド貨幣や収容所内通用のお金をずいぶん溜め込んいた者もいたが、持ち帰っても仕方がない。自分が働いて稼いだものをニュージーランド人にただやってしまうのも残念だ、といって土へ埋めた変わり者もいた。
 これまでに作った細工物も惜しかったが、自分の痕跡を残すのがいやさに、夜あかあかと燃える焚き火にくべて灰にしてしまった。
 収容所を出るときに、ニュージーランド兵の驚く顔が見たいと、全員が隠し持っていた長い刃物を、小屋の中へずらりと並べて置いてきた。さぞ驚いたことだろうとおもう。
 私の貯金残高は2ポンド以上になっていた。日本銀行へ持っていけば日本円に換えられるといわれ小切手を貰った。この時は信じられなかったが、とにかく貰って帰ってきたような気がするが、そのあとの記憶がまったくない。
 このフェザーストン捕虜収容所に入ったのは1942年(昭和17年)12月であったが、出所したのはそれから丸3年たった、奇しくも12月であった。
                                 つづく

第33回は7月20日(火)の予定
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