第33回


            
帰還





帰還船
 1945年(昭和20年)12月31日の朝、徴用工員たちの捕虜がいるNo.1の約300人が何台ものトラックに分乗して、砂埃りを高く巻き上げてフェザーストン捕虜収容所を出発した。
 私のいるNo.2の約300人も、トラックですぐ後に続いた。
鉄条網の金網越しに外側から収容所を見る風景はちがっていた。空地にわれわれの作った草花が風に揺れて、別れを惜しんでくれるかのようだったが、主のいなくなった小屋は抜け殻のようで殺風景に見えた。
 遠ざかる収容所を眺めながら、不思議とうれしさも喜びも何も込み上げてこなかった。初めはあんな大事件を起こした収容所生活が、住めば都のたとえで、しだいに境遇や環境になれ、平和で、安穏過ぎていたからかもしれない。むしろ、この反動がいつくるのか、必ずしも日本へ帰れるとは限らない、フィリピンへ降ろされ強制労働をさせられるのではないかなど、いろんな噂が飛び交い不安になっていたせいかもしれない。みんなすこしも嬉しそうな顔をしていない、誰もがぶすっとして、何もしゃべらず、ただ黙々とトラックに揺られていた。

 アンザック駅には客車が待っていた。オークランドからウェリントン間を1日に1往復する途中駅である。以前、チーズを積んだ貨車の荷下ろしをさせられ、同室だった原さんは釘で袋へ穴を開け、今日はチーズを一杯食っちゃったといって、われわれを羨ましがらせたところだ。
初めのころ荷下ろし作業をしていると、遊んでいる子供たちや、道行く街の人々がわれわれに手を振ってくれた所でもあった。


                                 つづく

第34回は7月27日(火)の予定
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●その頃戦局は●

1945年(昭和20年)
12月
  1日 陸軍省・海軍省廃止。

  6日 GHQ、近衛文麿・木戸幸一・大河内正敏・緒方竹虎等9人に逮捕命令。


1946年(昭和21年)
1月
  1日 人間天皇宣言
  4日 GHQ、軍国主義者の公職行追放・超国家主義団体の解散を指令。
 15日 「復員だより」放送開始。
 29日 GHQ、奄美大島を含む琉球列島・小笠原諸島等に対し、日本の行政権を停止する覚書交付。

2月
 11日 占領軍の食糧放出開始。

3月
  6日 政府、憲法改正草案要綱発表。主権在民・象徴天皇・戦争放棄。

4月
 22日 米軍、琉球列島米国軍政府下の沖縄中央政府(のち民政府)設立。

5月
  3日 極東国際軍事裁判開廷。

11月
  3日 日本国憲法公布。

12月
  5日 樺太引揚第1船、函館入港。
  8日 シベリア引揚第1船、舞鶴入港。