|
|
|
今になれば可笑しなことで、ほんの気休めにしかならないのだが、横倒しにした弾の上からさらに土をかぶせておいた。これは人間の生きる業みたいなもので、少しでも被害をすくなくしようとしたわけだ。
あれが爆発すれば、入口をふさがれた壕の中では、爆風の抜けるところがなく、われわれは木っ端みじんになっただろう。幸にも爆発を二人で、積極的に回避したことになる。いま考えればこれも運命の境目にいながら、われわれはツキを呼び寄せたのだと思う。
食糧探し
不発弾の処理に成功したそれからは、すきっ腹を抱えて食糧探しがはじまった。
空腹感に悩まされたのは、最初の一週間ぐらいで、あとは腹もあきらめたのか、それとも麻痺したのか、さほど感じなくなってきた。
非常食の備蓄してあった場所は、私の方が知っているつもりだったから、見当をつけては犬のように土を手でほじくり返したが、なかなか出てこなかった。前日の猛爆撃で壕の天井や壁の土がはげしく崩れ落ちていて、記憶していた位置とずいぶんちがうのだ。やっと出てきたのは業務用の牛缶数個。みかんの缶詰もあったかもしれない。牛の切り身を食いのばすでもなくパクついていたので、数日で缶詰はなくなってしまった。
水は天井から落ちる滴を手に当てて見当をつけ、その下へ空缶を置いて溜めては飲んだ。最初の空缶に滴がカンカンと当たる音が、もしかすると近くにいる敵兵に感づかれるのではないかと、非常に気になった。しかもこの水がきれいなのか汚い水なのかは、真っ暗がりでは確かめようがない。
飲みたいときには、缶に指を突っ込んでどのぐらい溜まったかを確かめ、自分だけ先に飲んだりしないで、「おいたまったぞ」と教えあった。お互いが暗黙のうちに、なんでも公平に分けあおうと心がけていた。
梅干し
空っ腹をかかえ、暇にまかせて始終土を掘っていた。そのうち木枠が手にあたった。おや、なんだこれは?と、二人で夢中になって土を掘り返した。樽らしいが中はなんだ?とにかく食い物ならなんでもいいと、まるで餓鬼同然であった。
醤油の一斗樽だった。直系30センチ、高さ40センチぐらいの樽。醤油?まさかこんなところに醤油を入れておくはずがない。醤油の匂いもしない。揺すっても音もしない。
さて、開けるのがまた一苦労だった。われわれは武器をなにも持っていないのだ。
ただ私は従兵だったので、専用にいつも洋刀の刃渡り一尺二寸(約36センチ)の肉切り包丁をもち歩いていた。軍隊の包丁は研げば本当によく切れるいいものだった。缶詰も上を十文字にこれで切った。この包丁があったお陰でずいぶん重宝し、われわれの命を救ってくれた守り刀のようでもあった。
樽の中には一体なにが入っているのだろうと、気は急ぐが、附近の敵に悟られそうなので大きな音を立てるわけにはいかず、交替で樽の前に座り込み、まるで彫刻でもするかのような格好で数時間かけ、密閉した丸い木のほぞを包丁の先でほじくって、こじあけた。
あいたとたん酸っぱい匂いが鼻をついた。梅干しの樽だった。すごいものを見つけたという感激もなく、こういう緊急時に梅干しはすこしは役に立つが、こんなに梅干しばかりではすぐ飽きてしまうと、最初はかえって落胆した。しかし、いま考えると、ほかのどんな食べ物より、殺菌力のある梅干しだったからこそ、生き延びることができたのかもしれないのだ。しばらく樽を眺めていたが空腹には勝てず、二本のゆびを、開いたほぞ穴に突っ込んでは摘みだしていたが、すぐ指がとどかなくなった。外への音漏れに気をつけながら、交替で樽の上ぶたに包丁できずを付け、削り、やっと板を剥がした。
はじめは無制限に食べていた。種も自分の座っている辺り一面にペッペッと吐き出していた。樽に梅干しが半分ぐらいになったとき、お互いに自分勝手に食べ続けていたのでは、すぐなくなってしまう危険を感じた。いまはこの唯一、貴重な食糧を食いのばすために、おたがいがお互いを監視していくことにした。梅干しは1回に5個を、宮川の分は私が数えて渡し、私の分は宮川から貰うことに決めた。お互いに欲望に負けて食べないように誓いあった。
排便は、梅干しを少々しか食べていないので、記憶にないほど少なかった。出したいときは、不発弾を埋めた側とは逆の方へ行って穴を掘り、犬のように土をかけて始末をした。
第5回
お互いが人という字になって
この洞穴のような壕は、入口がふさがってから排水されず、地下水なのか雨水なのかわからないが、天井や壁を伝って水が常にしたたり落ち、赤土の上を水浸しにしていった。
自分たちがいる場所は半畳あるかなしかの広さに、まず石を敷きつめ、その上に乾いた土を運んできては相撲の土俵のように盛り上げた。土が水分を吸ってじめつくので、毎日乾いた土を探してきては盛り上げる作業を二人とも日課にした。この土の上に島中尉が残していった外套と毛布二枚を敷き、二人が横になる広さはないので互いが互いの背中に寄りかかって寝た。文字どおり二人で一つの、人という形をつくり、身を寄せ合って異常な事態をひそかにしのいでいた。
私は三等兵、本来なら6か月たてば二等兵になる。しかし、こんな激戦下では、日本から通知が届くわけがなかった。とはいえ宮川は二階級上の一等兵である。軍隊というところは階級が絶対ものをいうところ。この階級差があったからかも知れないが、宮川とはほとんどと言ってよいほど必要なこと以外、故郷のことや私事を話さなかった。むしろ外の敵がそばに来ていそうな気がして、話し声も極力さけるようにしていた。
日本軍は負け知らずの軍隊とはいっても、もしわれわれを助け出せない位置にいたなら、この二つの小島は敵ばかりで、ここを何時どんなときどんな風にして捕まらずに脱出できるか。そのため外の物音には極度に耳をそばだてていた。敵の弾に当たるより、捕虜のはずかしめだけは決して受けたくないと思っていた。この暗く長い穴ぐら生活の中では数週間たつうちに、序列、階級はさておき、お互いがお互いを必要とし、頼りにするようになっていった。何をするにも相談しあった。やはり一人では、とうてい生き延びることはできなかったと思う。
天井は敵の通信中継基地
日にちは天井穴のうす明りから判断して約1か月たった頃、われわれ二人の悪い予感が的中する事態が起きた。
われわれの寝ている昼間、二人の頭の上をのぼっていく数十人の足音で飛び起きた。壁に耳をあてると、敵兵が壕の上に器材を運び上げている様子だ。そのうち階段まで出来たらしく、足音がトントントンとリズミカルに聞こえてきたのには肝を潰した。
暫くすると、今度は天井穴の近くからハロハロと話したり、チリンチリンと電話をかけたり、掛かってきたりするような音が聞こえ始めた。われわれには英語は理解できなかったが、なにか言葉を反復しているように聞こえてきた。これは後になって考えたことだが、爆撃でガブツ島とタナンボコ島を繋ぐ桟橋は破壊されていたし、向い側のフロリダ島には敵の水戦基地があり、これらをつなぐ通信の中継基地を造っているらしい。
最悪の事態だ。向こうの音がこれだけ大きく聞こえるということは、逆にこちらの物音もちょっと耳をすませば聞こえるにちがいないと、自分たちの立てる音にはことさら神経質になった。暗い中では手まねや表情では意志が通じず、どうしても話した時は、相手の肩をたたき、耳へ口をつけて内緒話のしぐさをした。
われわれの命の水、天井から落ちる滴は、カラの缶に受ける最初のカンカンと響く音を少しでも消そうと、最後にのんだ者が少し残しておいた上に受けるようにした。
われわれが水溜まりをピチャピチャと歩き回っては向こうに聞こえてしまうだろうと、敵が活動する昼間は、こちらの行動をピッタリやめて寝ることにした。
敵の通信士は、2時間おきぐらいに交替するのも分かった。
暫く音がしなくなると、夜がきたなと、今度はこちらが行動開始。日課の自分たちのいる場所に乾いていそうな土盛りを始め、終ると梅干し樽の底に沈む残り汁を指につけてなめ、終いには塩気を爪で引っ掻いてなめ尽くし、全くの空っぽになった。
つづく
第6回は1月12日(火)の予定
読み終わったらこのウィンドウは閉じてください。 |