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とうとう自分たちが口から吐き出した梅干しの種を、盲目の人が潮干狩りで貝を探すように、泥水につかった土の中を探り、泥と一緒につかみだし、その中に種をみつけると口に放りこんでは奥歯でカチッと噛み砕き、中の天神様、子葉を食べるまでに追い詰められた。 敵の通信士が階段を上がってくる足音がすると、また朝がきたなと思い、われわれはお互いが生きていることを確かめあった。わが軍による奪還の期待は諦めに変わっていた。 いよいよわれわれはこれまでか。この壕に閉じこめられて幾日になるかもはっきりしない。だが、何かいい方法はないのか。 ここを脱出し、生き延びるにはどうしたらいいか。二人ともいくら考えてもいい方法が浮かんでこない。外の状況が分らず、敵がどの程度どこにいるのかを知らなければ、何の対策も立てられなかった。 偵察 9月になっていたと思う。 外へ偵察に出るにしても、月明りの日ではこちらの姿が丸見えになってしまうので、絶対敵に発見されずにすむ日、曇りの深夜を選んだ。 天井の穴は小さく、宮川より私の方が体が小さく軽かったので、私一人、外へ出てみることにした。宮川の肩を踏み台にしてよろよろと立上がり、天井の穴にかぶさった椰子の葉をそっとどかした。首を出し、キョロキョロと一回り外を見回した。穴の中の暗がりに慣れた眼でなら、外の暗闇など明るいものだ。 案の定、穴の目と鼻の先に、通信の中継基地らしい簡易的なテント小屋があった。敵兵は中にも、外にも姿はない。 穴から這い出し、腹這いのままゆっくり前進しては辺りを見回した。どこもかしこもあれだけあった椰子の木は、爆撃でほとんどなぎ倒されていた。 爆弾でできた穴もあちこちにあり、這いずって行って、その穴から島全体を見渡すと、日本軍が逆上陸してきたときのためだろう、島の周りは鉄条網で張り巡らされていた。発電所のそばには番兵がいつもいるらしい塔もできていた。まわりには、砲撃で飛び散った兵舎のトタン屋根があちこちに散乱し、風でカランコロンと音を立てていた。 この分なら少々の物音は聞こえないなと安心した。島の入口にあった工作科の兵舎も、木の桟橋も、資材置き場もなかった。13ミリの機銃と、向かってくる敵機を打ち損じると動きの鈍い旧式の高射砲も、そのまま追っても追いつかず、反転してくる敵機とは反対側へやっと回して迎え撃つしかなかった大正七年砲も、山の頂上には無論なかった。 30数日ぶりの外の空気はうまかったが、そうそうゆっくりもしていられない。椰子の実ぐらい持って戻りたいと探したが、敵兵に拾われてしまったのだろう、なかなか見つからない。やっと一つだけ引きずって、宮川の待つ元の壕へまた戻った。 昼は勿論夜もあちこちに敵がいそうな気配だ。とてもうかつに飛び出すわけにはいかないということが、われわれの結論だった。しかし、向い側の西フロリダ島へ泳ぎ渡りさえすれば、あちらには果物もあるので、森林に身を潜んでいれば生き延びられるだろうと、二人で話した。 戦況はどうなっているか定かではなかったが、米軍の反攻が強まっているように思えた。 敵の侵入 それから数日後、敵が行動している昼間、われわれは眠っていた。その耳元に、入口附近でカチンカチンと、なにか打つ音に眼を覚ました。英語で賑やかに話したり、歌をうたったり、鶴嘴のようなもので6、7人の者が入口を掘りはじめている様子に仰天した。 咄嗟にダイナマイトを仕掛けるのだなと思った。 つづく 第7回は1月19日(火)の予定 読み終わったらこのウインドウは閉じてください。 |
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