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| 壕・脱出 泳ぎを知らない 翌日の夜から物凄いスコール、日本でいう暴風雨になった。 爆撃で吹き飛んだままの焼けトタン板が、われわれのいる穴の奥にまで、ガランガランとうるさいほどの音を立てて聞こえた。これなら敵さん、まず外に出ているわけがない。脱出するなら今夜、真夜中しかないと、運を天にまかせて決行することにした。 そうはいうものの、情け無いことに、実は私は泳げないのだ。 海軍の兵隊がなぜと思うだろうが、訓練半ばにして、外地へ送り込まなければ間に合わないほどの戦況に、事態が急迫していたからだと思う。 それに私は小学校三年の頃、石神井川の堰で、近所の子が溺れて亡くなったことがあって、父から川へ行ってはいけないときつくいわれ、泳ぎを覚える機会がなかった。 いまフロリダ島へ泳ぎ渡らねばならぬ時に、泳げないなどと言っている場合ではなかった。それにこの悪天候は、われわれにとって千載一遇の好機、これを逃しては二度と脱出のチャンスはこないだろうと思った。また、この難関突破は、やればできるような、何か信念めいた不思議な気持ちになっていた。あとは運を天にまかせるのみだった。 3尺(約90センチ)ふんどしだけの真っ裸になり、頭の上には半そでシャツとズボンの防暑服を手ぬぐいでくくり付け、包丁はタオルで刃を包み、柄の穴にふんどしの細い腰ひもを通して縛るという出立ちで、梅干の空き樽を抱えて壕を出た。 しかし、二人とも膝や足腰の関節がきかずガクガクして、思うように歩けない。四つんばいになって、樽を引きずりながら暴風雨の中を、激戦のあった桟橋の方へ向かった。 なんども敵兵に気を配り、番兵がいつもならいそうな建物のそばは大きく迂回し、びしょ濡れになって進んだ。途中、味方のいた大きい洞穴壕の前を通ったが、鼻をつく悪臭にたじろぎ、息をつめて急いで通り抜けた。きっと死臭だったのだろう。しかし、この時は自分達が逃げ出すことで精一杯、申し訳なかったが亡くなった戦友のことなど気づかっている余裕はなかった。 ![]() 桟橋のところにも鉄条網がはり巡らされていて、これを越えなければ海へは入れない。鉄条網にはあちこち人が触れれば音を立てるように、缶詰の空き缶がぶら下がっていた。 われわれは、樽を向こう側へ放り投げておいて、音をさせないように鉄条網をゆっくり引っ張り上げその下をくぐり抜けた。 いつもなら内海のために凪いでいる海も、この日ばかりは波が高く荒れていた。しかし、躊躇しているわけにはいかず、遥か向うの西フロリダ島を目指して、無我夢中で泳ぎ出した。 潮に流されるのを計算にいれ、ずっと迂回する方向を見定めて波に逆らいながら、二人が浮き輪がわりの樽の両端に掴まって体を浮かした。 水の中には夜光虫がいて、水をかくと集ってきてキラキラと光る。普段なら遠くからでも敵に発見されやすいのだが、この大雨にかき消されて幸いした。 しかし、私は死に物狂いで樽にしがみついているのが精一杯。樽の中には、雨と波とがすぐ溜まり、二人は気持ちを合わせて、1、2の3と、樽を頻繁にひっ繰り返しては水を出した。そのたびに泳げない私は体が沈み、立ち泳ぎのように足をばたつかせるのだがうまくいかず、潮水を飲みアップアップしては樽に必死につかまっていた。 無人島 潮の流れは計算どおりにはいかず、タナンボコと西フロリダの両島の中間にある、2、300メートル先の、日本軍が爆弾と燃料置き場にしていた無人島に流れついた。潮水は飲むし、1か月以上梅干しだけの体では、フロリダ島へすぐ向かうわけにはいかず、ここで1日体を休め、また夜になってからフロリダ島へ向かうことにした。 どのぐらい時間がかかったろう。ようやく島へ這い上がり、爆弾であいた穴に転がりこんだ。その辺に落ちている椰子の葉を拾い集め、きれいに並べては敵に発見されそうなので、ごちゃごちゃに穴の上に被せ、その下へもぐりこんで、二人とも意識無く眠りこけた。 ![]() この時の一日一晩はいまでも忘れられない。ふんどし一丁で、膝をかかえ、おたがいが背中合わせになっているだけだった。 ![]() つづく 第9回は2月2日(火)の予定 読み終わったらこのウィンドウは閉じてください。 |
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