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| 雨は容赦なくジャンジャン降るし、何枚椰子の葉をかぶっていても、葉の間のあちこちからポツンポツンと雨水が滴り落ちてくる。その雨水が、頭に落ち、首筋を濡らし、背筋から尻へ、ツツーッといく筋も流れ落ちる。赤道直下とはいえ、この時の雨は疲労で身動きもできないわれわれのからだに、氷の滴のように一層冷たく感じられた。 ハッ!と意識が戻ったのは、敵の上陸用舟艇がエンジン音を轟かせて、われわれのすぐそばを通っていく時だった。椰子の葉を数枚たてて、その隙間からそっと見ると、夜の明けかかる中を艇はツラギから水戦基地の方へ向かって行くのが見えた。服を着たくても、穴から立上がろうものなら敵艦からすぐダダダッと撃ってくるにちがいないと、それもできないで我慢していた。 恐怖と疲労とひもじさとで、びしょ濡れのまま、何も喋らず頭も朦朧とした中で、長いことじっとしているのは地獄の苦しみだった。 ああ、こんな目にあうなら、前の防空壕のほうが良かったと後悔した。 この時堪え忍んだ苦しみは、忘れようとしても忘れられず終生心の中にしみついている。浮き世の苦労など、これに比べれば大したことではない。今は、困難にぶつかったとき、このときの苦境を思い出しては励みにさえしている。死線を越え、九死に一生を得たというのは、このことをいうのだろう。 私が泳げなかったことが逆に幸いだったようだ。潮の流れるまま、浮き樽に任せ、水しぶきを上げずにいたのが、敵に発見されず、かえって良かったように思う。真夜中のスコールというとんでもないときを選んだことも、幸運をもたらしたのだろう。私にはこの時の無謀とも思える行動が、何回もいうようだが、ツキをよんだとしか思えなかった。 昼間やっと晴れ上がった。 水戦基地からくる船とガブツからくる船が、この島のすぐそばを行ったり来たりしていた。荷物の陸揚げをしている音も近くから聞こえてきた。この無人島にも、日本軍の残した信管のついていない爆弾や、燃料があった。それを何時敵が取りにやってくるか気がきではなかったが、昼間はじっとして、敵の様子をうかがっているしかなすすべがなかった。 やせ細って疲れたうえに、濡れた体には昼間の太陽の暑さは、椰子の葉で遮っていさえすればむしろありがたかった。 居眠りから眼を覚ますと、宮川が眼をつぶったまま動かなかった。 死んでいるのでは? とうとうこんなところに、自分一人取り残されたのではないかと不安になって、宮川の呼吸をじっと確かめたこともあった。 目測で5、600メートル向う側に見えるフロリダ島には、現地人が生活している。泳ぎ渡ることができれば、果物も豊富にあって、きっとなんとかなると、辛抱して暗くなるのをじっと待っていた。 椰子の実が一つ転がっているのを見つけて、包丁で割り中のコプラ(果肉)を取りだし、宮川と噛んでは汁だけ吸って吐き出した。 夕闇迫る頃、大きや椰子蟹が現れ、われわれの吐き出したコプラのかすを食べにやってきた。二人ともこの蟹を食べようと、必死になって捕まえようとしたが、われわれの体力はすでに衰えていて動きが緩慢なため、蟹の逃げ足についていけず、一匹も捕まえることができなかった。われわれを馬鹿にしたように動きまわる蟹を、食べたらさぞ美味かろうと思いながら、捕まえるのをあきらめてただ眺めるのみだった。 敵の上陸用舟艇の音も、何を撃っているのかわからないが時たまする小銃の音も聞こえなくなった。 点のようについていた灯りもぽつりぽつりと消えてゆき、辺りには静寂が戻ってきた。ふとのどかさを感じ、俺達は一体何をしていたのかと、一瞬錯覚を起こすほどだった。 日が落ちてから数時間たつと、さすが辺りは冷えてきて、腕組みをしたくなるほどで、防空壕のほうが暖かかったように感じた。 濡れていた防暑服も乾いているので、そっと立ち上がって着込んだ。 今夜は晴れて月は、半月。昨日とはうってかわり、月がこうこうと照り映え、海は凪いでいて、平和な別天地のようだった。 明日になれば、敵がここへ燃料や砲弾を取りにやってくるかもしれないのだ。長居は無用。この月夜に決行すれば、敵に発見されて銃撃を受けるかもしれない。 しかし、宮川も一か八かやってみるしかないという意見だった。 つづく 第10回は2月9日(火)の予定 読み終わったらこのウインドウは閉じて下さい。 |