掲示板
氏名: K・T
日時: Wednesday, September 15, 1999 at 03:05:56
要旨:
団塊の世代様
> また、1、2年前に出版された写真集で、確かニューギニア戦線、ガダ
> ルカナル戦線だったか記憶が定かではありませんが、正に小説「The Thin
> Red Line」に表現されている当時の日本兵の死に様を現したアメリカ側撮
> 影の写真を中心に構成した単行本が二冊出版されていたと思います。詳し
> く見たいので、どなたか本の題名と発行元を教えて下さい。
おっしゃっている本かどうかはわかりませぬが、
最近、私が図書館で借りた本は、米軍側の報道写真がたくさん使われていました。
イル川河口で倒れた一木支隊の将兵の写真などは、目をそむけたくなります。
他にも、戦利品の日章旗(名前など寄せ書きが書いてある)を広げて
ポーズをとっていたり、扇子をあおいだりしている米兵などもあり、
それらを見ると複雑な思いがします。
●米軍が記録したガダルカナルの戦い 草思社 2,300円
(95・10月発行 ISBN4-7942-0632-1)
*****************************************************
もう一つはシリーズ物で、やはり米軍側の写真がたくさん使われています。
私は、このシリーズのニューギニアと硫黄島を読みました。
硫黄島には米軍の従軍カメラマンがたくさん入っていたらしく、
ずいぶんとたくさんの写真がありました。
●シリーズ 秘蔵写真で知る近代日本の戦歴「地獄のニューギニア」
フットワーク出版株式会社 1980円
(93年5月発行 ISBN4-87689-115-X)
****************************************************
あと、最近、購入した本ですが、
この本には、米軍に捕獲され、海軍資料として保管されている
日本軍のさまざまな品物が写真とともに紹介されています。
たとえば、川口少将が持っていたと思われる写真、
日本軍が作成したガ島の地図、川口支隊で戦死した日本軍将兵の日記帳、
(日記には、妻への思い、行軍のつらさ、水が欲しい…という言葉がつづられていて
読んでいると胸が締めつけられそうになります)
捕虜になった日本兵のこと、収容所での日本兵の写真があります。
●太平洋戦争 日本の敗因2 「ガダルカナル学ばざる軍隊」 角川書店 500円
(95年5月発行 ISBN4-04-195413-4
すでにご存知でしたらスミマセン。
氏名: K・T
日時: Wednesday, September 15, 1999 at 03:04:07
要旨:
連載終了、お疲れさまです。
映画「シン・レッド・ライン」を見てから、太平洋戦争に興味を持つようになり、
こちらのHPにきました。
櫻井さんの体験は、映画よりも小説よりも過酷で、
いったいこの先どうやって生き延びることができたのだろう…と
思いながら読んでいました。
特に、たこつぼの中で梅干しだけで生き延びたところ、
想像しただけで体中が息苦しくなります。
もしかすると、爆撃を受けるよりもつらいことかもしれない…。
でも悲しいかな、私たち世代の人間は、戦場でこういった飢餓との戦いが
あったことなど知らないのではないでしょうか。
私は太平洋戦争については、真珠湾攻撃、特攻隊、東京大空襲、原爆
これぐらいしか知りませんでした。学校では、この時代の頃は3学期に突入していましたから、駆け足で一気に近代までいっちゃいましたし、
テストに出るポイントとしてしか覚えていません。(苦笑)
その後、映画でキムタクや織田裕二の特攻隊もの、沖縄戦のひめゆりの塔、戦艦大和の連合艦隊は見ましたが、兵隊さんがどのような戦いをしたのか実感がわかなかったのです。
(特攻隊は別ですが)
正直言って「シン・レッド〜」を見るまではガナルカナル島がどこにあるのかも
知りませんでしたが、この映画に感銘を受け(祖国から離れた地であのような戦い方をしていたということに)、ガ島関係の書物を読みあさっているところです。
ツラギやガブツという島の名も覚えました。
ニューギニア、硫黄島、たくさんの島々でたくさんの兵隊さんが戦い、玉砕していったことを、たぶん今の世代の人は、ほとんど知らないと思います。
映画にはありませんでしたが、もしも日本軍の得意としていた「夜襲」「バンザイ突撃」のシーンがあったとしたら、「日本をバカにしてるなぁ。こんな無意味なことするわけないじゃん」と、思ったに違いありません。
櫻井さんの貴重な体験を、もっと多くの人たち、特に若い人たちに知ってもらいたい。
できるならば、テレビでも映画でもいいから、映像化してほしい。
当時の20代の若者が、どのように生死をさまよい、戦場を生き延びたのかを
知ってほしいから。
櫻井さん、本当にありがとうございました。
いつまでもお元気で、彼の地で亡くなった戦友たちの分まで、
いっぱいいっぱい生きてください。
氏名: 団塊の世代
pxy14161@nifty.ne.jp
日時: Saturday, September 4, 1999 at 08:56:56
要旨:
櫻井さんの著作の強烈さは、死よりももっと辛い生を選んで困難を乗り越えた点にあり、そこに感動を覚えます。そして我々ももっと頑張らなくてはと勇気が出てくる訳です。
捕虜になるより、自決を選ぶ当時の日本軍の精神は、結局戦争の最終目的である、相手に勝つ、一人でも多くの敵兵を殺すという目的に全く合致していなかった事は明らかです。
この辺の話なると、ついつい言いたくなるのは、服部貞四朗や辻政信など、当時の陸大出の擬似秀才達(今の大蔵官僚と全く同じ)が作った上記の様な精神や規範、全くstrategyになっていなかった貧弱な作戦を思い起こし、そして彼らが戦後もぬくぬくと戦犯にもならず生き抜き、まして国会議員にもなっていたという点です。
しかし彼らの戦前戦後の行動を許したのは結局当時の日本国民であり、戦争に突入し、何百万人の死と数千万人の不幸をもたらしたのは、日本国民の政治的且つ社会的無知さ加減が根本的原因であり、結局は当時の一般国民ひとり一人の責任、自業自得と言わざるを得ない点も付け加えなくてはなりません。厳しい言い方かもしれませんが。
私自身も全くそうですが、基本理念も持たない日本人・・・、他力本願的な処がある、自ら目的を考え行動する事がない、赤信号みんなで渡れば怖くない、というような日本人の典型的国民性は、農耕民族、稲作民族として育ってきた結果と判っていても、そして、神という絶対的基本理念を持った、狩猟民族を中心とした殆どの主要諸外国には、勝負に勝てる筈はない・・・・。この辺りの事実は、日本人のその他の特性(だから私は日本人は美しく素晴らしいと思い、西欧人、特にアメリカ人は醜く嫌気がさすのだが)があるにも拘わらず、現代の若者の頼りなさ、政治的無知を見るに付け、また、同じ過ちを起こすのではないかという危惧に繋がってしまい、私の頭は滅入ってしまう。
脱線してきたので、元に戻します。
是非見たいと思っている映画「The Thin Red Line」の原作であるJames Jones(「地上より永遠に」の原作「From Here to Etrenity」の著者)の自らの体験に基づく同名小説を読むと、当時の日本兵が如何に簡単に殺され、自決して無駄死にしていったかを思い知らされます。
それに対して、櫻井さんは完全に制圧された敵軍領地の中で、自決することなく逃げ延びていく。生への執念、恐ろしいまでの忍耐強さが心を打つ。
失礼且つ乱暴な言い方かもしれませんが、捕虜になる事への絶対的怖れから、櫻井さんの過酷な逃避行があったのだと思います。その事は横井さんのグアム島での体験であり、小野田さんの体験に繋がるかも知れません。捕虜にならないという執念、自決しないという生への執念、その執念に感嘆せざるを得ないと言うのが私の感想です。
牧田朋子さん、オーストラリア兵の従軍日記、是非紹介して下さい。
数年前、初めてオーストラリアに観光で行った時、白雲の隙間からニューギニアの緑が見えたのが印象的であり、オーストラリアとの近さを知りました。太平洋戦争の後半はアメリカではなく、オーストラリア(といっても英国といった方が正確かな)との戦いという言い方は成る程と思いたくなるのですが、主体はアメリカであり、アーストラリア兵もかなりの数参加したというのが正解と思いますが・・・?
また、1、2年前に出版された写真集で、確かニューギニア戦線、ガダルカナル戦線だったか記憶が定かではありませんが、正に小説「The Thin Red Line」に表現されている当時の日本兵の死に様を現したアメリカ側撮影の写真を中心に構成した単行本が二冊出版されていたと思います。詳しく見たいので、どなたか本の題名と発行元を教えて下さい。
それによると、当時の日本軍の武器、弾薬、食料は著しく欠乏していたという印象を覆せざるを得ない・・・大量の日本軍の残した物資が米軍に捕獲されていた事が判ります。これはガダルカナルよりも戦死率が圧倒的に多かったノモンハン事件でさえも、最近公開された当時のソ連側記録フィルムに映っているソ蒙軍に捕獲された日本軍の物資の多さ、新しさでも判ります。
最前線で戦った方々を侮辱するつもりはありませんが、旧日本軍には弾薬も食糧も少なく、十分に最前線まで行き渡らず、飢えと弾薬不足に苦しみながら、肉弾でとことんまで戦ったという今までの私の悲惨だが勇ましい印象が薄まってしまったのは否めません。これには、日本人の生への執着薄く、淡泊で、簡単に死を受け入れてしまうという性質も起因していると思いますが、主原因はLogisticsに対する考えが貧弱で、さらに兵卒の生命が最も大事であり、とことん生き抜き、敵を一人でも多く殺すという戦争の最終目的が十分に一兵卒まで浸透していなかった、軍上層部の考えが基本的に間違っていた点にあると思います。
悲惨な戦争から既に50年以上過ぎ去りましたが、未だに元アメリカ兵の老人から、写真や軍旗など、当時の日本兵の遺品の紹介があります。今までは、大事に取っておいてくれたのだなというのが私の印象の殆どだったのですが、どうやら、アメリカ兵は日本兵の屍を弄くり廻し、金歯をペンチで捻り取り、懐から財布を引き剥がした結果の戦利品だったようです。当時の日本兵には、神聖な遺体を弄くるということだけは無かったと思うのですが。この事実、皆さんどう思われますか。
氏名: まさあき
hienn@tf6.so-net.ne.jp
日時: Saturday, September 4, 1999 at 02:58:11
要旨:
毎回どうなるのだろうと思いながら拝見させて頂きました。
私は50年前の出来事、太平洋戦争に大変興味があります(不謹慎かもしれませんが・・・)
なぜ、興味があるのか自分でもわかりません。もしかしたら、私の前世はあの時代で戦死した
兵隊さんの一人かも・・・と思うほどです。
私には物心ついた時にはお祖父さんは亡くなってました。ですから、身近なひとで昔のことを
語ってくれる人がいませんでした。(お祖母さんは15年ほど前に亡くなりました、私が小さい時、関東大震災の体験談を話してくれましたが・・・)
戦争に行った人、体験した人・・あと10年、20年したらもうこの世にはいなくなって
しまうでしょう(失礼ですが)機会があれば体験者にいろいろお話を聞きたいと思ってますが
まず、ないでしょう。
私の、親戚にもミートキーナ上空で戦死した人がいます。
約50年前、これをもう50年と思うか、まだ50年と思うかは人それぞれですが、私は
まだ50年と思ってます。
私は、たまに今の時代はいいのだろうかと思うときがあります、今現在様々な問題がおきてます
有りすぎてすぐには頭に思い浮かびませんが、本当にいい時代なのか迷い考えてしまいます。
私は過去の時代はわかりません、そして平和なのは理解できますが、戦争を体験してないので
体験した方と比べたら平和というものを理解できてないでしょう。
ただ、私はこれだけはずっと思っていきたいことがあります。
50年前、あの戦争で日本の為に戦ってくれた方がいたからこそいまの日本があると・・・
(純粋な意味で)又、戦後日本を復興させてくれた方も忘れてはならない・・・
支離滅裂な文書になりだらだらと長くなりすみませんでした・・・・。
氏名: まさあき
hienn@tf6.so-net.ne.jp
日時: Saturday, September 4, 1999 at 02:57:56
要旨:
毎回どうなるのだろうと思いながら拝見させて頂きました。
私は50年前の出来事、太平洋戦争に大変興味があります(不謹慎かもしれませんが・・・)
なぜ、興味があるのか自分でもわかりません。もしかしたら、私の前世はあの時代で戦死した
兵隊さんの一人かも・・・と思うほどです。
私には物心ついた時にはお祖父さんは亡くなってました。ですから、身近なひとで昔のことを
語ってくれる人がいませんでした。(お祖母さんは15年ほど前に亡くなりました、私が小さい時、関東大震災の体験談を話してくれましたが・・・)
戦争に行った人、体験した人・・あと10年、20年したらもうこの世にはいなくなって
しまうでしょう(失礼ですが)機会があれば体験者にいろいろお話を聞きたいと思ってますが
まず、ないでしょう。
私の、親戚にもミートキーナ上空で戦死した人がいます。
約50年前、これをもう50年と思うか、まだ50年と思うかは人それぞれですが、私は
まだ50年と思ってます。
私は、たまに今の時代はいいのだろうかと思うときがあります、今現在様々な問題がおきてます
有りすぎてすぐには頭に思い浮かびませんが、本当にいい時代なのか迷い考えてしまいます。
私は過去の時代はわかりません、そして平和なのは理解できますが、戦争を体験してないので
体験した方と比べたら平和というものを理解できてないでしょう。
ただ、私はこれだけはずっと思っていきたいことがあります。
50年前、あの戦争で日本の為に戦ってくれた方がいたからこそいまの日本があると・・・
(純粋な意味で)又、戦後日本を復興させてくれた方も忘れてはならない・・・
支離滅裂な文書になりだらだらと長くなりすみませんでした・・・・。
氏名: 櫻井愛
a_sakura@jf6.so-net.ne.jp
日時: Sunday, August 15, 1999 at 23:58:36
要旨:
読み進める度に刻まれてきた映像は、35回まで読んだ後、まるでスライド上映のように、
私の頭を、一気に流れました。
まず、防空壕で至近弾に見舞われ、気を失った話。気がつくと、更に60キロの不発弾が
壕に刺さっていた事件は(第3回)、その先で待ちうける運命の、ほんの始まりにしか過ぎ
なかったのですね。身を隠す壕ですら、いつ墓穴に変わっても、不思議はなかった・・・。
敵襲に怯える緊張の中で、樽いっぱいの梅干を見つけた時の事(第4回)、潜んでいた壕の
天井が、敵の通信中継基地になっていたと知った時の不安(第5回)、島を脱出し、鱶を
かわして、遠浅の珊瑚礁へ、何とか逃れたものの(第10回)、西フロリダ島へあがる時に、
ウニの棘を、足が黒くなるほどびっしり刺してしまった場面(第11回)、戦死ではなく、
フェザーストン捕虜収容所で、散っていった仲間たち(第26,27回)。
辛苦が、これでもかと続きます。
東京オリンピックの後に生まれた私は、今まで聞きかじった知識をつなぎつなぎして、
出来た映像を連続させて、話を追っていきました。
が、あくまでも、戦争の疑似体験。櫻井さんが語り尽くせぬ思いまでは、行きつかない
ことでしょう。
けれども、だからこそ、たくさんの命と人生を失いながらの戦争下、当時の話を辿る意味
は、残されていると思います。
今日は、8月15日。櫻井さんの頭には、どんな思いがよぎったでしょうか?
戦争へ行く前は、きっと違う人生でしたでしょう。今の私達同様、昨日と同じ平凡な今日
が、繰り返された毎日があったのに、ある日、それは奪われてしまった・・・。
こぼれおちてから、気がつくのではなく、私達は、平和を大事にして行かなければならな
いと思いました。
貴重な体験を読ませて頂き、有り難うございました。
氏名: 岡田久男
nlaad@blue.ocn.ne.jp
日時: Wednesday, August 11, 1999 at 16:21:06
要旨:
「地獄からの生還」のHPへの連載は開始時から関心を持って見守って
おりました。著者のご体験もさることながら、半年間、終戦記念日あた
りに最終回をというカウントダウン企画のアイデアも・・・・・・。
そのどちらの実験も、立派に果たされたことに敬意を表します。
小生は終戦の時、国民学校2年でした。霞ケ浦航空隊のあった茨城の
農村地帯で、「ススキの穂」「松油」を採らされました。チョッキの綿
代わりと、戦車のグリス代わりであることを知ったのは、ずいぶん後
のこと。今年も広島、長崎の慰霊祭は、淡々として終わりました。
戦争の記録はこれからも、いろんな人から語り継がれていかなければな
りません。「地獄からの生還」のホームページでの連載は終えましたが、
この記録はもちろん不滅です。
「元気の出るページ」そのものもコンテンツの幅も深みも出てきて、
とても楽しみです。中高年向けというポリシーが一本通っていますね。
これからも、ますます「元気なページ」を作ってください。
(日本自分史学会々員、自費出版研究家)
氏名: まさあき
hienn@tf6.so-net.ne.jp
日時: Sunday, August 8, 1999 at 02:59:04
要旨:
はじめまして、25歳のはなたれです。
私は、戦記物に興味が有りいろいろ本を買い読んでいるのですが
偶然ここを見つけました。
結構長そうなので、少しずつ読んで行こうと思っております。
氏名: 大利佐喜雄
sakio_otoshi@msn.com
日時: Tuesday, August 3, 1999 at 21:52:27
要旨:
“大正生まれ”の75歳、毎週欠かさず読ませてもいただいています。
桜井さんのご辛苦に比べれば勿論足元にも及びませんが、本当に身につまされる思いで当時の
事を思い出しております。
“大正生まれ”の私たちは、“忠君愛国”お国のために働いて皆のために戦死する覚悟でおりました。そんな気持を子供らに話したら、平和に馴れきった彼らは「戦争にどうして反対しなかったのか?」と信じてくれません。
戦争体験の事実をありのままに後世に伝える義務が、私たち夫々にあると思います。
氏名: 山下壱朗
fwhi7809@mb.infoweb.ne.jp
日時: Thursday, July 8, 1999 at 17:16:51
要旨:
毎週、どんな展開になるのか予想もつかず、重苦しい期待と不安に包まれ、張りつめた緊張感を意識しながら読み続けて参りました櫻井氏の『地獄からの生還』も31回と回を重ねるにおよび、やっと氏の前途にも再び平静な生活と心和む人的交流の機会が訪れたような予兆が感じられ、ほっと安堵しているところです。
ガタルカナル戦の絶望的な戦局で死線をさまよいながら、数々の過酷な試練にも負けず自らの生存への路を切り開いてゆく氏の生への意欲には、 只々驚嘆すると同時に敬服するばかりです。
毎度のことながら、櫻井氏の遭遇する事件を追いながら、日常的には到底生存できるとは考えられない厳しい極限状況を克服して、氏が将に地獄から生還できたのは一体何故だったろうかと強い関心と興味を覚えます。
とても氏が強運だったからだけとは思えません。櫻井氏が極限的な状況においても生存できたのは、氏のどんな困難にも屈せず生きようとする強い意志と冷静な観察眼や適確な状況判断力の結果に他ならないと憶測しています。
櫻井氏の筆舌に尽くしがたい貴重な体験記は、言わず語らずの内に、人間同士の殺し合う戦争の愚かさ、空しさとともに、どんな状況においても、前向きに生き抜くことの大切さを、身をもって私達に教えてくれているのではないでしょうか。
氏名: 「地獄からの生還」編集人
日時: Monday, July 5, 1999 at 21:05:35
要旨:
村上明里 様
ご意見ありがとうございました。
捕虜に労賃をどこが払っていたのか? とのご質問ですが。
著者の櫻井さんが地方へお出かけでしたので、直接伺ったわけではありませんが、
フェザーストン捕虜収容所は、国際捕虜条約に従い、1ヶ月に一度国際赤十字の
ボッサード博士が収容所を見回りに来たくらいですから、条約を遵守しようと
収容所側が捕虜の労賃を払っていたのだと思われます。その収容所の資金はと
いえば、ニュージーランド軍から来ていたのではないでしょうか。
櫻井さんが帰られたら早速うかがってみますので、お待ちください。
わずかにしても捕虜に労賃を支払っていたとは、他ではなかったことではない
でしょうか。その点ここの収容所におられた方々は恵まれていました。
ご愛読のみなさまへ。 この場を借りてお知らせします。
以上のように櫻井さんへのご質問ございましたら、極力御本人に伺ってお答え
したいと思います。どうぞお寄せください。
氏名: 村上明里
akari-m@pop21.odn.ne.jp
日時: Sunday, July 4, 1999 at 00:27:47
要旨:
戦後生まれの両親から生まれた私にとって、「戦争」というのは歴史上の出来事であり、体験された方から直接お話を聞く機会は皆無に近いのですが、このホームページではその体験談を事細かに読むことが出来ました。確かに「二度と繰り返してはならない出来事」として習った戦争ではありますが、「どうしてそうなのか?」と言うことをこの体験談を読んで実感できました。働いてお給料がもらえた兵隊の話は今まで聞いたことが無くて、びっくりしましたが、いったいそのお金は誰が払っていたものなんでしょうか?櫻井さんに直接質問できるコーナーがあったらいいですね。
氏名: 菅野吉之助
k.sugeno@giganet.net
日時: Sunday, May 16, 1999 at 03:52:32
要旨:
凄い内容 言葉も出ません。 戦時中学徒動員で昼夜B29の空襲警報下、大豆飯を食い、今思えば 想像も出来ないような生活をしていました。ガダルカナルのラバウル航空隊の活躍に
胸をわくわくさせていました。嘘っぱちの敵機撃墜でした。
あの頃の事は思い出したくありません。この物語は古傷に触る感じで読むのが辛いです。
虱のことも 同じ経験をしています。
氏名: 石賀直和
日時: Wednesday, May 12, 1999 at 22:00:11
要旨:
毎週、更新されるのを楽しみにしています。
小さい頃、戦争経験者から体験談を聞きました。
シベリアで抑留された人やフィリピン辺りで終戦を迎えた
人など様々でした。その時の話は心の中にしみ込み、忘れる
ことは出来ません。生き残る術のエッセンスもありました。
また、日本の犯したことに対する深い反省もありました。
そういう体験を話してくれた老兵達も私の周りにはもう居なく
なってしまいました。櫻井さんのこの貴重な記録はあの幼い頃
に聞いた体験談を思い出させてくれました。日本人が知って
いなくてはならない(語り継がなければいけない)話だと思います。
不慮の事故等ではなく、自分の命を懸けた状況に置かれたことは
私には数回しかありません。(銃弾が飛んできたわけではありません。)
櫻井さんのように戦争に行かれた人は皆、命の保証のない状況が
続くわけですが、そういう修羅場を長く通り抜けた人は人間として
何が備わるのだろうと考えます。いたずらに命を危険にさらすことは
愚行としか言えないけれども、国家の安全保障を考えるような場合、
そういう緊張状態に耐えた人間でなければならないのかも知れない
と思えてなりません。国民の安全を指揮するのにふさわしい人材、
そういう人は日本に現在いないわけですね。
その状況が永遠に続くのであればそれは、天国に近いのでしょうか。
氏名: 編集人
tbn00a1@tokyo-cci.or.jp
日時: Wednesday, May 5, 1999 at 01:20:37
要旨:
先日著者の櫻井さんとお会いし、ロスの<まだまだお子様さま>の話や、米国から2通
の書き込みがあったこと、また、櫻井さんが壕の奥へ逃げ込んだ時に入って来た米国の兵
隊さんを今、インターネットで探している話をして来ました。その際、公開中の映画「シ
ン・レッド・ライン」にお誘いしてみましたが、即座に断わられました。今日、私一人で
観に行って来ましたが、うかつにお連れしないでよかったと思いました。映画については
「元気が出るページ」‘学ぶ’の<あなたにとって映画とは?> に書きますのでそちらを
ご覧いただければ幸いです。
氏名: 編集人
tbn00a1@tokyo-cci.or.jp
日時: Tuesday, March 23, 1999 at 14:02:21
要旨:
牧田朋子 様
掲示板への書き込みありがとうございました。
オーストラリヤ人兵士の戦中日記を翻訳までなさろうという意気込み、きっと内容が大変なものなのでしょうね。ご成功を祈ります。
「地獄からの生還」読者の皆様へ
シン・レッド・ライン、アカデミー賞受賞ならず。残念でした。こちらへ風が吹きはしないかと密かに期待していたのですが、そうは問屋が卸しませんでした。ま、シナリオ通りにいかないのが人生です。ですから「地獄からの生還」の櫻井さんはあれほど大変な目にあわれたのですが。「地獄からの生還」もまだまだ波乱に満ちた話が続きます。ご期待ください。
「シン・レッド・ライン」4月10日ロードショー決まる。
丸の内ルーブル 澁谷パンテオン 新宿ミラノ座 新宿東映パラス
池袋東急 上野東急 吉祥寺バウスシアター 相鉄ムービル4
マイカル松竹本牧 横浜ニューテアトル 109シネマズ港北 川崎チネチッタ
氏名: 牧田朋子
GZT04223@nifty.ne.jp
日時: Saturday, March 20, 1999 at 19:36:17
要旨:
昭和16年生まれの私としては8年前オーストラリアに行くまで太平洋戦争など遠い「お話」でした。(ごめんなさい)彼らの反日感情に出会って始めて、あれはお話ではなかったのだと気づきました。一方で、そこで出会ったパプアニューギニア女性の親日感情に驚かされたりもして、オーストラリア人兵士(当時)の戦中日記が出版されたのを知り、手に入れて帰ってきたのですが、私の周囲ではだれも興味を持ってくれません。できれば自分で翻訳して出版したいのですが・・・。確かに最初日本が戦ったのはアメリカでしたが、後ではオーストラリア人が主だったのです。したがって、あの戦争の実相を知るにはオーストラリア側の事情も知っておく必要があると思うのです。
何にしても暇をみつけて読み続けたいと思っています。がんばってください。
氏名: 廣瀬 行夫
nmc@nmc.jpweb.net
日時: Thursday, March 18, 1999 at 17:44:51
要旨:
私が所属している異業種交流会ニュー・マネジメント・クラブの分科会の一つ
「歴史に学ぶ会」では中央公論社の「日本の歴史」を教科書に明治以降の日本を勉強していて、
今、太平洋戦争の所を勉強しています。太平洋戦争の実態を見直しよい勉強になっています。
また、私自身にとって、終戦の時が中学1年で、5−6年早く生まれていたら同じ様な経験をしたかもしれない
と思うと櫻井さんの経験が他人ごとに思えません。
こういうものを読むと戦争の実感が分かります。後から考えるとあの戦争はなんだったのだろうかと考えさせられます。
しかし、よく生き残って帰って来ましたね。生命力と運を幹事ます。
文章も実体験の為迫力がありますが、挿し絵がうまいですね。実に克明に描いてあり感心しています。
続けて拝見します。
氏名: 編集人
日時: Tuesday, March 2, 1999 at 20:44:00
要旨:
映画「シン・レッド・ライン」を無料で観る方法
<ロスのまだまだお子様>さまから教えていただいたアメリカ映画は、
アカデミー賞にノミネートされるなど大変な評判になっていますが、東京の
地下鉄互助会では、下記要領で応募すると抽籤で鑑賞券をプレゼントしてく
れます。
官製はがきに、住所、氏名、年令、職業、電話番号を書いて
〒101-8555東京都千代田区神田須田町1ー5ー11
(財)地下鉄互助会事業部 METRO映画「シン・レッド・ライン」鑑賞券
プレゼントキャンペーン係
4月10日消印有効
私も著者の櫻井さんを誘って観に行こうと思っています。
氏名: 草留 繁
Shigeru.Kusadome-1@ou.edu
日時: Thursday, February 25, 1999 at 10:21:47
要旨:
始めまして、今アメリカの大学に留学中の日本人です。
日本軍ぼろ負けの戦場として、ガダルカナルは子供のころより知っていました。
今いるところは南部(オクラホマ州)なのですが、なぜか黒人は少なく
東洋人も少ない、そのため偏見が強く感じられる。たまに日本人など小ばかに
されることもあり、やはり戦争には勝つべきかと考えるのは不謹慎だろうか?
アメリカも一度他国に打ち負かされる経験が必要ではないのかとも思う。
しかし、なぜアメリカ人は対戦国の兵士の死体の写真を好んでHPにのせたがる
のか疑問である。アメリカ人も弾に当たれば死ぬんだよとおしえてやりたい。
日本でインパール戦線から生還したお年寄りと話したことがあるけど背筋がのびて
いて元気な人だった。やはりあのような所から帰ってこれるのは生命力と運が強い
からでしょうか?桜井さんも生命力が強いのでしょうね。
氏名: 「地獄からの生還」編集人 村上
tbn00al@tokyo-cci.or.jp
日時: Saturday, January 30, 1999 at 17:04:20
要旨:
ロスのまだまだお子様さま
アメリカで「シン レッド ライン」というガダルカナル戦の映画が公開され、日本でも
3月公開のお知らせをくださいましてありがとうございました。
また、日本で公開する方のファンクラブのまとめ役の方から、貴女から教えられたと言
ってリンクの依頼を受けました。願ってもないことなのでお受けし、こちらでも「シン
レッド ライン」の方へリンクをすることにして、「地獄からの生還」のトップページの
下にリンクアドレスを掲載しました。
Hawkeye 様
アメリカのガダルカナル・オンライン と言うHPを教えていただきました。早速みること
にします。
インターネットのすごさについては、話は聞いていましたが、驚きを実感しています。
皆さん有難うございました。
氏名: Hawkeye
hawkeye@m78.com
日時: Friday, January 29, 1999 at 17:34:47
要旨:
はじめまして。 団塊世代のHawkeyeと申します。
櫻井さんの手記、大変興味深く読ませて頂きました。
櫻井さんを発見しそうになって見過ごした米兵を見つけられぬかとの
お話がございましたが、米兵の名前、所属部隊名などが判明して
おれば、可能性はあると思います。単なる思い付きですが、以下のURL
に、米国の個人の方が運営しているガダルカナル・オンラインというHPの
中の掲示板があります。 読んでみると、尋ね人の書き込みもありますので、
一度、掲載されてみられたら如何でしょうか?
http://saturn.guestworld.tripod.lycos.com/wgb/wgbview.dbm?owner=stnickgb
氏名: 「地獄からの生還」編集人 村上
tbn00a1@tokyo-cci.or.jp
日時: Monday, January 25, 1999 at 21:36:33
要旨:
ロサンゼルスのまだまだお子様 さま
お名前もメールアドレスも分からないので、掲示板をまた見て下さることを期待して
書きます。
海外からのご意見に驚き、感激しています。「シン・レッド・ライン」知りません
でした。ぜひ観たいと思います。
櫻井さんは今年77歳まだお元気です。貴女からのことを必ずお伝えします。
「地獄からの生還」第8回は出しました。お読みください。
ところで、第7回の中で櫻井さんが中にいるのも知らず米兵が入って来ます。ここで
見つかっていたら今日、櫻井さんは生きていなかったわけです。気付かずに出ていった
米兵の方もまだ生きておられはしないか? 生きておられたら、櫻井さんと「生きていて
お互い良かったね」と握手させてあげられたらと、あらぬ夢想にかられるのです。
残念ながら、こちらは英語が出来ないので、いい知恵が浮かばないのですが、アメリカの
大きなホームページへ掲載して貰うとか、「シン・レッド・ライン」のホームページの
掲示板に出してみるとか、大分乱暴な意見を申しましたが、何かいいアイディアは
ないでしょうか? アメリカの事情にお詳しそうなので、伺ってみたくなりました。
氏名: まだまだお子様
日時: Sunday, January 24, 1999 at 19:38:25
要旨:
初めてこのページを拝見しました。
私は今、ロスアンゼルスに住んでいる、三十歳の主婦です。
こちらを発見したきっかけは、「ガダルカナル」を検索していて、偶然に見つけました。
“THIN RED LINE”(日本語の題名も「シン・レッド・ライン」)という映画が、この間アメリカで公開になりました。アカデミー賞の呼び声も高い、と言われている作品です。この映画が、ガダルカナル戦のものなのです。これを観て、恥ずかしながら、私は「ガダルカナル?えーと、第二次大戦の戦場で、場所は、赤道の近くだよなあ・・」などと思っておりました。実際にガダルカナルがどこか、と地図の上でもすぐには指差せませんでした。よって、本当に情けない話ですが、後になって調べものをしている、という次第です。
私たちの世代は、残念ながら、祖父の世代と接することも少なく、教科書だけで「戦争」というものを学ぶだけにとどまっています。ガダルカナルもそのページの一つにすぎません。
実際にこの体験をしない、というのはすばらしいことではありますが、事実を忘れ去る、という事であってはなりません。実体験を伺うことのできる機会を作ってくださった櫻井氏に感謝いたします。
ちなみに、映画を好きな方はご存知かもしれませんが、この映画、THIN RED LINEは、日本では3月に公開予定だそうです。ジョン・ウェインが出てくるような、ヒーローが一人でてくるものとは違い、もっと登場人物一人一人の内面に焦点を向けた映画です。日本兵役も、オーストラリア在住の日本人をエキストラとして募ったとのこと。昔の外国映画で(アメリカものに限らず、中国映画も)「ばか」と、「はやくしろ」ぐらいしか片言で言えない日本兵が出てきて興ざめになりますが、そんなこともありません。ぜひ観ていただきたいです。
洋画は若いもんだけが行くものとは限りませんよ。
では、この辺で。
連載第8回目、楽しみにしています。
ものを知らないお子様より。
氏名: 豊田
日時: Sunday, January 24, 1999 at 18:40:57
要旨:
氏名: 岡田久男
nlaad@blue.ocn.ne.jp
日時: Tuesday, January 12, 1999 at 14:46:48
要旨:
「元気が出るページ」はじめて読みました。61歳のシニアです。自費出版文化に魅せられ
勉強中の者ですが、自費出版の「地獄からの生還」がホームページに連載企画のニュースはと
ても関心を持っています。とても読み易く、一回の長さ、イラストの入り具合もとてもいいで
すね。むしろ、活字より読みやすい?
次号の「自費出版ジャーナル」(自費出版編集者フォーラムの機関誌)にも書いたのですが、
「自費出版本のホームページへの展開」、そのまた逆もありましょうが、今年あたりから、自
費出版とホームページの接近、接点の動きがますます盛んになる予感がします。「デジタル自
分史」といったコトバも聞かれるこのごろ。豆の木工房さんは、そのさきがけ。
本の感想でなく済みません。「地獄からの生還」が、多くの人に読まれ、「元気が出るページ」が、今年ますます
「元気」でご活躍されることを祈ります。自費出版ネットワーク/自費出版編集者フォーラム
/日本自分史学会/会員/シニアライフアドバイザー(SLA)会員。
氏名: 鈴木靖三
s_suzuki@sam.hi-ho.ne.jp
日時: Tuesday, January 12, 1999 at 09:27:03
要旨:
「地獄からの帰還」を第5回まで読みました。
私費出版の場合は、一般の人の目に触れることが少なく、本の存在を知ってもらうことは意味があると思います。これからも埋もれている本を、こういう形でPRして下さい。
私も含めて現在の人には戦争の悲惨さ、貴重な経験を知る機会はなかなかありません。「戦史」「太平洋戦争前後のの歴史」「戦争論」などを勉強するかたわら、生きた戦争体験を知ることは、大切だと思います。手のかかることだとは思いますが、最後まで続けるようお願いします。
氏名: 宇野孝司
@ra2.so-net.or.jp
日時: Wednesday, December 30, 1998 at 17:12:34
要旨:
この先どうなるのかはらはらしながら読んでいます。
氏名: 山下壱朗
fwhi7809@mb.infoweb.ne.jp
日時: Saturday, December 12, 1998 at 15:02:25
要旨:
何年くらい前のことか記憶が定かではありませんが、『文芸春秋』連載のガタルカナル島における日本軍の壮絶悲惨な戦記に強烈なショックを受け、太平洋戦争の重大な戦局転換局面となったガタルカナル戦での日本軍の戦略やロジステックスの致命的欠如に痛恨の思いのしたこと覚えています。
その影響か、この戦場に参戦させられ筆舌に尽くしがたい辛苦を体験された櫻井氏の連載される『地獄からの生還』を、軍隊経験のない私たちは最終回までどんな心構えで接すればよいだろうかと戸惑いを覚えます。と同時に氏に対していい加減な態度で読むことは許されない。この貴重な記録の中から何かを掴み、生かさなければならないと重く感じております。