◇森本哲郎氏一行に加わっての、西アフリカ・ニジェール川探検紀行◇

 26日朝食後、ダカールから車で約300キロの、ガンビアの首都バンジュルに1泊の予定で出発することになった。ガンビア共和国は1965年に独立したアフリカで最も小さい国である。東西に300キロほど、南北は45キロ足らずで、セネガルの内部に抱かれるような格好でガンビア川に沿って、細長く延びている。
 フランスとイギリスが長いこと争奪戦を続けた結果、フランスの影響が強かった地域がセネガルとなり、イギリスとの結び付きが強かった地域がガンビアとなったのだ。そのため公用語は英語で、その他にウォロフ語、マンディンゴ語などが使われているという。

ウォルフ族の部落で
マンゴーの実がたわわになっている。
 昼近い頃マンゴーの大きな木の下に、草屋根をのせた小さな家が7、8軒固まっているウォロフ族の村で車が止まった。森本先生とカマラが村人を相手に話をしている間に、女性数人で家の中を覗かせてもらった。土間には鉄製の大きなベッドがあって、その上に無造作に衣類が置かれていた。ほかには瓢箪の入れ物が転がっているだけで道具らしいものとて何も見えなかった。煮炊きをするかまどは小屋の外である。私たちは思わず顔を見合わせて、
「えっ!これだけで生活しているのかしら?」
 と驚いてしまった。傍らには私たちの無遠慮を咎めようともせず、赤ん坊を抱いた少女のようなお母さんたちが、にこにこしながら立っていた。その若いはち切れそうな体と明るい笑顔に逞しい生命力のようなものを感じた。




 ガンビア川の河口をフェリーで渡り、バンジュルに着いた時はもうとっぷり日が暮れていた。
「今回、何でガンビアまで来ることになったのか、ということからお話すると……」
 ヨーロッパ風の瀟洒なホテルの夕食後、森本先生の第1回目のレクチャーが始められた。
「最近、日本の古語が南インドのドラビダ人の言語に非常によく似ている、つまり日本語の起源は南方にあるのではないか、という説が或る大学のO教授によって主張されるようになった。それに対して従来からの北方のウラルアルタイ起源説、を唱える学者たちから猛反撃が起こり、日本語のルーツを巡っていま激しい論争が展開されているが、その決着はまだついていない。
 私はこのところある週刊誌に、日本民族のルーツを求めて、という記事を連載しているので、それに関心をもっているのだが、O教授の話を聞いた後で、南インドに行った時に面白い話を聞いた。それはドラビダ語と、西アフリカのウォロフ語が、非常によく似ているということで、実際、南インドのマドラスには、西アフリカのウォロフ族の学者たちが留学していて、ドラビダ語とウォロフ語がどう対応するかを研究しているという。日本語がドラビダ語と深い関係にあるとするならば、日本語のルーツとウォロフ語も関係があるのではないか。もしそうならばウォロフという種族はどんな所に住んでいて、どんな生活をしているのか、今回この旅をするにあたって、ウォロフ人の住んでいるガンビアの村を是非訪ねてみたかった……」
「何か共通点がありましたか」
すかさず質問が飛んだが、通りすがりに聞いただけでは分かりません、と笑って答えられた。
「さらに面白いのは言葉だけでなく、お米がとれることで、民俗学的にいって稲の起源も、ニジェール川にあるのではないか……。インドのヒマラヤの山麓地帯と、もう一つニジェール川地帯起源説が学会で問題になってきている。アフリカでお米のとれるのはニジェール河畔しかなく、ここに来る途中にも陸稲が見られたが、あれも重要な意味を持っている。稲の学者が目にしたら、きっと飛び上がって喜んだことだろう。日本には縄文時代に稲と瓢箪が伝わってきているが、瓢箪の起源もアフリカだと言われている。それがどんな経路を通って日本に伝わってきたのだろうか。ルーツ探しも視野を広げ、地球的な規模で考えなくてはならない時代になってきた。
 また、ニジェール川というのはいまから200年前に、マンゴ・パークが探検して初めて明らかになった川だが、パークは探検に出発するまでこのガンビアで、アフリカの風土に馴れ、マンディンゴ語を学ぶのに充分時間をかけていた。パークが残した日記『ニジェール探検行』には1章をさいて、ガンビア川沿岸に住む住民の観察記録などが書かれている。私達はこれからニジェール川にその足跡を辿ることになるのだが……」
 そして先生はこう付け加えられるのだった。
「皆さんもご覧の通りダカール、バンジュルのホテルはヨーロッパ人のリゾートで天国のようなものです。これから先には地獄が待っています。天国にいるうちに充分休養をとって、体調を整えておいてくださいよ」
 翌朝ホテルのマネージャーが、私たちとの記念写真を撮らせて欲しいと言ってきた。
「日本人のツアーとして初めての人達だから、写真を撮って玄関のロビーに飾りたい」
 ということで、プールサイドに勢揃いして、一緒に写真におさまる私たちを、他の欧米人たちもにこにこして眺めていた。


ガンビアのバンジュールのリゾートホテルで。
オーストリー人というマネージャーが大歓迎、「日本人の団体客ははじめてだから、
記念写真を撮って玄関のロビーに飾らせてくれ」ということであった。

 朝食後、南へ10キロほどの所にあるセラクンダの市場にいった。迷路のような狭い道一杯に大変な人出だった。日用雑貨から香辛料、穀物、野菜、布地や衣類、何でもあり並べられた品物に気を取られているうち、仲間の姿を見失ってしまった。羊の肉を焼く煙りと匂いが立ち込め、思わずハンカチを口に当てて、この雑踏から逃げ出そうと焦って歩いていると、側に寄ってきた少年の手がサッと私の提げている布袋の中に入った。「あっつ!」思わず声を上げると、素早く少年は人込みに消えていた。何も無くなった物はなかったがびっくりしてしまった。
 ホテルに戻り昼食の後、マネージャーたちの見送りを受けてダカールへの帰途についた。
 フェリーでガンビア川を渡って暫く行った所で、アメリカ人らしい賑やかな観光客を乗せたバスと擦れ違った。カマラの話によると、ここから30キロ程奥の所に、ルーツの主人公クンタ・キンテの生まれ故郷のジュフレ村があり、最近は観光名所のようにアメリカ人などがよく訪れるようになったという。またしても昨日のゴレ島のことが思い出されてならなかった。

(第2章 第3回/終)

┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬次回更新は6月20日(火)┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬


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