◇森本哲郎氏一行に加わっての、西アフリカ・ニジェール川探検紀行◇

「今日はもう大晦日ね。明日は元日。1981年はいかがでしたか?」
「いろいろございましたが、最後をこの旅で飾ることができまして、もう言うことはございません」
「日本にいたら今ごろ、とてものんびりしてはいられませんものね」
 マルカラの朝、安田さんと顔を合わせるなり、こんなことを話し合った。
 さて今日はセグーを訪れ、モプチまで350キロをオンボロ車で行くのである。中川氏がタクシーを1台頼んでくれたので、3人がそちらに移ったため、バスにもゆとりが出来てだいぶ楽になった。


12/31 マルカラからセグーを通ってモプチへ。
セグーは3年前と違って大きな市のために
人で溢れかえっていた。

 セグーの町に入るとタムタムの大きな音が響き、大変な賑わいであった。先ず市場を一巡して見ると、実にいろいろな品物が並べられているのに驚いた。人込みをかきわけ雑踏を通り抜けて川に出た。川には幌をかけた大きな船が幾艘も泊り、岸辺には洗濯風景が見られた。

川には大型の船が何艘も見られ、
はじめて寝袋をひろげた所もわからなかった。


 私は3年前を思い出して、周りに集まってきた子供たちに「ムスンデヒライテ」を口伝えで教えて一緒に歌った。音感がよくすぐ上手に歌うので、テープに録音して聞かせると、皆瞳をキラキラ輝かせ、ワッと歓声を上げた。これは3年前と全く同じで懐かしかった。
 だが残念ながら、私たちがテントを張って寝たらしき場所はわからなかった。


 セグーからモプチまで走る間に、安田さんの記録によると13回の検問があったという。それに時間を取られてモプチのホテルに着いたのは夕方であった。3時に車の中で日本時間にあわせて「新年おめでとう!」の声が聞かれたが、こちらでは今夜が大晦日である。


 
モプチの町なかで

 夕食は旅行社からの特別サービスもあって、豪華な晩餐が用意されていた。この日私はシングルルームで、明日からに備えシャワーを浴びシャンプをして、ゆっくり寝ることができた。
 1月1日、目が覚めると6時だった。時差9時間だから東京では午後3時、今ごろ家では皆どうしているだろうかと思いを馳せる。そして自分がアフリカでこうして元旦を迎えていることに感無量、朝のしじまの中で何物かに感謝を捧げたい気持ちが溢れてきた。
 食堂に行くとT夫妻が、菊のご紋章入りの金盃に、この日のために大事に持っていらした日本酒をついでまわっていた。私も田作りがわりにと、ミニフィッシュを皆さんに配った。かくしてお正月気分を味わいながら、
「明けましておめでとうございます」
と、先ずは新年の挨拶を交わし、これからの旅の無事を祈り合い、朝食をとった。
 思えば、この前の探検行では、ここモプチの港からトンブクトゥまで、オンボロの貨物運搬船をチャーターして船出をし、4日間のニジェール川下りを果たしたのだ。始めのうちは難民船だ、奴隷船だと言い合ったような船での大変な旅だったが、それゆえに思い出も深く、今度もその時の仲間4人が顔を揃えると、
「あの時の思いは忘れることが出来ない、苦しかったけど素敵な旅だった!」
と懐かしさを込めて語り合っているのだった。それこそ最悪の旅こそ、最良の旅であった。
 日帰りでのジェンネ行きであった。この前はフェリーに車で乗ることが出来なくて、予定外のジェンネ泊りとなり、惨澹たる思いをしたが、今度は車ごとフェリーで渡ることが出来て安心した。



 ジェンネのフライディモスクは何度見てもいい、素晴らしいドロのモスクである。この日は1月1日だし、金曜日でもあった。モスクの屋上に導士が現れて高らかにコーランの詠唱が始まった。モスクの中では礼拝が行われ、大勢の人が集まっているのだろう。2時までは入れないとう。

 ジェンネのフライディモスク

 まちの中を歩いていると、びっくりするような真新しい、立派なホテルが目の前に現れてきた。いまやジェンネも観光ルートとなったためだろう。静かな昔のままの雰囲気を失ってもらいたくないと望むのは、余所者の身勝手さなのだろうか。
 そういえば純朴だった子供たちが、今回はうるさく付きまとって「カドー、カドー」と手を出して離れないのだった。僅か3年とも言えない速度で、アフリカは変わってきているのを感じた。



 私たちの車がモプチ空港に着いた時、飛行場は閑散として人影も見えなかった。
「飛行機がいないじゃないか!」
 トンブクトゥ行きマリ航空は定刻に飛んでいたのだ。ルーズなアフリカ時間に、いままでいやというほど馴らされてきた私たちにとって、全く信じられない、意外な出来事であった。
「飛行機は遅れるから大丈夫なんて、ママディのまったくのデタラメだったのか!」
「何て間抜けな男だ、あれでもガイドか!」
 今朝ホテルを出て5、6分もした頃、ママディが大事な書類を忘れてきたと言いだした。
「イジョー、イジョー!」(止まれ)皆で大声で車を止め、車の助手にそれを取りに行かせ、空港に持ってくるように指示したのだが、彼はさらに重大な忘れ物をしていた。警察に預けてある皆のパスポートを取って来ていなかったのだ。やむなく回り道をして警察に寄ったところ、意外に時間を取られてしまった。トンブクトゥでの撮影許可証もまだとっていなかったためで、やっと車に戻ったママディは、飛行機の時間を気にする私たちに、
「飛行機は1時間位遅れるから大丈夫だ」
と言って悠々としていた。その揚げ句の果てがこういうことである。中川氏は心臓がどうかなりそうだと顔を赤くして、地団太を踏まんばかりにカンカンである。
「もう限界だわ。私の荷物をどうしてくれるの……」
「またしてもすれちがいとは、まるでメロドラマの筋書きなみだな」
 それぞれにやり場のない憤懣が口をついて出てくる。今更何を言っても後の祭りではないか。そうは思ってもやはりショックは大きかった。今度の「サハラ探検行」は、どうしてこうもハプニングが多いのだろう。私は寝袋だけの被害だったが、スーツケースが出てこなかった人は着替えも無く困っている。皆で助け合ってここまで我慢に我慢を重ねてきたのだ。それがやっと今度のバマコからの便に積み込まれていて、モプチから搭乗する私たちは、トンブクトゥで降りる時に、9日ぶりで受け取ることが出来ると喜んでいたのだった。皮肉なことに今度は荷物だけが目的地に着いてしまうのである。空港長を囲んで中川氏、森本氏、ママディが長いこと話し合っているのを、どうなることかと不安を抱えながら皆で見守るしかなかった。
「ここはローカル線のためトンブクトゥに行くのは週に3便しかないそうです。従って明後日の便になりますがその予約はとれました。荷物の方はトンブクトゥで下ろさず、折り返しの便で運んでくるように、向こうの空港の方へ空港長から手配してくれるので、明日モプチのホテルで受けとることになりました」
 中川氏からこのように話し合いの結果が告げられ、仕方なくひとまずまたホテルに戻ることになった。
「日程ではトンブクトゥの後で、2泊3日で行く筈になっていたサンガのドゴン部落探訪に、1晩泊まりで行くことに予定を変更します。1泊でも大丈夫行って来られそうですから、皆さん急いで1泊分の支度を整えてください」
 ホテルで昼食を済ませてから急遽出発となった。私には寝袋がない……。山岳地帯の秘境だというが宿泊は大丈夫なのかな?との不安が掠めたが、こうなったからには中川氏を頼りにケ・セラ・セラでついて行くしかないのである。トラックを改造したような車には窓ガラスが全然入っていないし、やっと全員が窮屈に詰め合って腰掛けられるというお粗末なものだった。さすがにママディは先刻からすっかり萎縮した様子で、大きな体を折り曲げるように後ろの隅の方に小さくなっていた。

(第2章 第6回/終)

┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬次回更新は7月11日(火)┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬


中高年の「元気が出るページ」‥TOP PAGE