◇森本哲郎氏一行に加わっての、西アフリカ・ニジェール川探検紀行◇

 アリが交渉した結果、1軒の家を私たちのために空けて貸してくれることになった。四角い土壁の一角にある狭い入り口にある木戸から中に入ると、左右に2メートルぐらいの細長い廊下のような部屋があり、砂地の上にすり切れた絨毯が敷かれていた。ここが女性たちの寝る場所だそうで、ひと先ず荷物を置いてやれやれと足をのばした。厚い布地が下がっているもう一方の出入り口を開けて見ると、そこは土塀の中に四角く囲まれた中庭で、眩いばかりの月の光に照らされていた。私たちはその月明りの下で車座になり、炊事係りの作ってくれたスパゲティで遅い夕食を取った。なんとも味が物足りない、安田さんと私は頷きあって、壁際に積み上げられていた岩塩を、密かにスプーンの先で少々削り取り、スパゲティにふりかけた。
「ごめんなさい!貴重な商品を無断でいただいて。でも随分おいしくなりました」
 2人だけの内緒話ながら、塩の貴重さを身に染みて感じた砂漠での一夜であった。


 アロウアンの家

 家の中の土壁にはこんな絵が描かれていた。

 タムタムの音が聞こえてくる。1月8日のモハメットの誕生日のお祝いのために、歌と踊りの稽古をしているという。懐中電灯を手にして、音をたよりに行ってみると、タムタムを叩く老女を囲んで、少女たちが砂の上にうずくまり肩を寄せ合い、拍子を取って左右に揺れていた。コーラスの合間に「オー、ルルル………」と舌を震わせ独特な高い叫び声。コーラスは一段と声を高め、それを鼓舞するようにタムタムの拍子も早さを増す。陶酔するような少女たちの歌声に、私たちもその中に坐って酔いしれていた。手足がすっかり冷たくなってきて、時計を見るともう12時を過ぎていて、残っているのは何人でもなかった。
 宿に戻ると狭い部屋の中は、皆既に熟睡しているようだった。安田さんと私はそっと寝袋を持って外に出た。土壁から少し離れた砂丘の上に森本氏と若いTさんが寝袋を広げているのが見えたので、私たちもその間に寝かせて貰うことにした。エアーマットに空気を入れその上に寝袋をひろげ、寒さの用心のため使い捨て懐炉を背中につけて、寝袋にもぐりこんだ。
 ほっと一息ついて夜空を見上げれば、十三夜と思える月がこうこうと砂丘を照らし、満天の星がおおいかぶさるように輝いていた。神秘的なんて感じではなかった。私は一瞬、星空に吸い込まれそうな、不気味な畏怖の念に駆られてしまった。こんなにも沢山の星が地球を取り巻いているのだろうか。日頃私たちが目にするのはこの何十分の一、いや何百分の一かしら……。
 何時の間にか寝入ってしまったらしい。あまりの冷気に目が覚め、懐中電灯をつけて時計を見ると午前4時だった。枕元の寒暖計はただの4度(摂氏)をさしている。昼間は40度もあったのに、凄い温度差なのであった。そっと寝袋から首を出してまわりを見回してみると、寒さのため眠れないのか、誰の寝袋ももぞもぞと動いていた。
 5時半ごろになって空がやっと白みかけてきた。気温は8度だがまだまだ寒い。ここに住む人々はこの厳しい寒暖の差をどのように凌いでいるのだろう。点在する家々からは煙が上がり始めた。毛布をすっぽり被った子供たちが、もう私たちのまわりに集まってきた。足を縛られ座り込んだ駱駝は、朝の光の中にシルエットとなって動かなかった。砂丘の彼方に向かって、敬けんなお祈りをしているアリや現地の人々の姿が見られた。


 寝袋で星空を仰ぎなから砂の上に
 寝た一夜は明けた。

 昨日のアッターヘル少年が「ママがいる」と迎えにきた。少し離れた土壁の家の前に、数人の女たちが集まって私たちを笑顔で迎えてくれた。その中から紫の長衣を頭から被って乳児を抱いた、上品な婦人が進み出てきた。「ママン」と、彫りの深いアラブ系の美人のママを皆に紹介して、少年は嬉しそうであった。白髭の気品のある老人はママンの父親らしいが、終始無言のまま傍らに立っていた。屋内には駱駝につけるように荷造りされた岩塩や、大きな袋が幾つも置かれていた。少年もモハメットのお祭りが済めば、この荷物を運ぶ父親と共に、8日間のキャラバンをして、トンブクトゥに帰ることになるのだろう。こうして小さい時から男の子は父親に、女の子は母親に、厳しい生活に処する知恵を学び、鍛えられているのだ。

 少年のママンはアラブ系の美しい人だった。


 朝食がわりに熱い紅茶を一杯飲んで8時前に出発となった。私たちのために一夜の宿を貸してくれた家の人々や、集まって見送ってくれる子供たちを前にして、思わず涙が溢れ出てきた。
「ありがとう。さようなら!」
 束の間ではあったが、この自然の中で共有することのできた、厳しい生活の体験だった。男達が隊商によってもたらすものが生活の総てで、ひたすら男達の無事を祈って待つ女たち。砂漠に暮らす人々の上に平穏をと、心から祈らずにはいられなかった。決して再び訪れることのないであろうアロウアン、私は瞼に深く焼き付けるようにして、さようならを繰り返した。
 暫く走るうちに、砂丘を背にキャラバンが通るのを見かけて車内は湧いた。今日はアリも充分に撮影の時間を与えてくれた。さざ波のような風紋を描き、豊かな乳房を思わせるような柔らかい曲線の砂丘が、うねりながらどこまでも果てしなく連なっている。
 私はここの砂を持って帰ろうと思い付き、ビニールの袋をだして砂をすくって入れた。指に触れる褐色のサラサラした細かい砂は、まだひんやりと冷たかった。こんな砂が舞い上がる砂嵐の時は目も開けていられないというが、どんなに大変なことだろう。
 少し皆から離れ砂丘の陰に入ると、“孤”の世界だった。カメラを手にしたまま私は、シャッターをおすのも忘れて、静かな砂漠の光景の中に浸っていた。
 サハラ砂漠の砂丘の上に、寝袋で一夜を過すことができたなんて、この感激は一生忘れ得ぬ、私の大切な思い出になることだろう。
 陽がすっかり傾き、トンブクトゥの家並みに火が点る頃、私たちのキャラバンルートを辿る旅は終わった。
「砂漠には何もない。ただ、その人の反省だけがある」
 森本哲郎氏はニジェール川からの帰途パリのホテルで、私の差し出したノートにこう記して下さった。


(第2章 第11回/終)


これにて「寝袋の旅ふたたび」第2章は最終回。

次回からは「ニジェール川源流地帯を行く」をお届けします。
「寝袋の旅ふたたび」から6年後、14日間のギニアツアーのお話です。
ご期待ください。



┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬次回更新は8月18日(火)┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬


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